教育基本法「改正」案の危険
教育の重大さ
教育は、100年の大計だと思う。
教育勅語と軍国主義教育によって過去の日本がどのような道をたどったのかを考えれば、ゆるがせにできない重要課題である。
権力による介入があってはならない
そして、最も重要なのは、教育が国家権力から自由であるという点ではないか。
人が人として大事にされ、その時々の国家権力によって都合がいいかどうかで評価されてはならない。とすれば、教育への国家権力の介入は、極力避けるべきであるから、当然である。
ちなみに、国家が国民を教育するなどということは、憲法違反の行為である。国家は、教育を受ける権利を有する国民に対し、その権利を充たすための義務を負うだけである。
現行の教育基本法は、次のように定めて、この点を明確にしている。
教育基本法「改正」案は国家による教育ではないか
ところが、教育基本法「改正」案は、見事にうさんくさい。問題は数多いが、そのうち、第2条(教育の目標)を見てみる。
これは一体なんなんだ。一つ一つを見れば、「いいじゃないか」と言われて終わりのような内容も並んでいる。
しかし、これこそが、最大のまやかしである。
そもそも、こんなことを法律にこと細かく書き込む必要があるのか。いや、書き込んでいいのか。
憲法は国家に対する規制だが、法律は、国家の国民に対する規制の性格を有している。細かく書けばかくだけ国家が国民に強制することになる。
これは、まさしく国家による教育への介入ではないのか。
憲法の基本的人権の意味もあいまいになる
ここに書かれたことは、ほとんどが、国民の権利に属し、あるいは、内心の自由に属する事柄ばかりである。これを国家の手によって教育の場で国民に義務として守らせ、その過程で国家権力が介入してきた場合、憲法で規定された基本的人権の意義がますますあいまいなものとなってくるのではないか。
教育基本法の「改正」案は、憲法の「改正」と連動して、国家権力によって都合のよい国民を創り出すための道具を持とうというのではないか。「憲法は国家権力に対する規制=しばりなんだ」などという議論はとんでもないことになり、憲法は、私たち国民が守るべき目標として教育の現場で教えられるということになってしまう。
ここでも、憲法の意義が、教育の自由の意味が問われており、国民の十分な理解と議論が必要である。
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