憲法9条大論争
井上ひさしさんと保岡興治さんの論争
「通販生活」というカタログ販売誌の昨年夏号に「憲法9条大論争」という特集が掲載されていた。
井上ひさしさんと保岡興治さんの論争がその内容だ。
井上さんは、言うまでもなく、「9条の会」の9人のお1人。保岡さんは、自民党憲法調査会会長。
まさにがっぷり四つの論争。
揺るぎない護憲派と揺るぎない改憲派
水島朝穂さんの言葉を借りるなら、揺るぎない護憲派と揺るぎない改憲派との論争。平行線に終わるしかない運命か。
事実、お二人の論議は、平行線のままで終わった。
しかし、興味深い発言がいくつかあったので、メモしておこうと思う。
押しつけ憲法論はもはや過去の遺物?
井上さんは、日本国憲法制定経過をかなり詳しく説明し、保岡さんの押しつけ論を批判した。
そうしたところ、保岡さんは、「いまは単にマッカーサー憲法だったから改正が必要だというふうには考えていません」と応じ、井上さんの示した制定経過について、「与野党共通の認識として共有されていると承知しております」と結論づけた。
保岡さんの発言が本音かどうかは分からない。自民党の中には、依然として、押しつけ憲法論を唱える人が存在する。
しかし、最近の憲法改正論自体がアメリカの長年にわたる押しつけであるという認識が拡がる中、自民党が、単純な押しつけ憲法論をとれなくなってきていることだけは確かなようだ。
「日本固有の良き伝統や文化」などが憲法から排除された?
保岡さんは、単純な押しつけ憲法論はとらないと言いつつ、次のように発言する。
・・・きりがないので、一旦中止。
感想=余りにも抽象的で空疎な言葉の羅列
残念ながら、余りにも抽象的で空疎な言葉の羅列だという感想を持ってしまった。
水島さんや小森さんの話を聞いた時、言葉の一つ一つが膨大な事実の裏付けを持っていること、1時間半という時間的制約がある故に、言葉に膨大な事実を込めて話すしかないんだということを感じ取った。
しかし、保岡さんの言葉からは、そういうことが感じ取れない。
そもそも、日本国固有の良き伝統や文化が憲法から排除されたなんてことは、元裁判官の保岡さんに言って欲しくない。「憲法は国家権力の行使を制約する規範」であるという基本を深く理解するならば、伝統や文化を憲法に書き込むという発想に結びつかないはずである。
それとも、「憲法は国家権力の行使を制約する規範」であるという近代憲法の原則自体を否定しようと考えるのだろうか。それならそうと、はっきりと主張されるべきなのだが、そこまで明確には言っていない。
保岡さんは、「天皇制だけは・・・残しましたが、あとはきれいに入れなかった」と言うのだから、日本の伝統ということでイメージされるのは、明治憲法時代の日本であるが、まさかそこまでは言わないんだろうと思う。念のために、保岡さんのホームページを見てみたが、やっぱり分からない。
「『よろず神』を大切にしながら、世界の文化を取り入れる多元的文化主義の豊かな精神文化」と言われても、これではさっぱり分からない。何を指すのかをもっと具体的に説明されるべきだろう。
ただ、保岡さんのホームページを拝見すると、国民の義務を強調しているから(「権利・自由と表裏一体をなす義務・責任や国の責務についても、共生社会の実現に向けての公と私の役割分担という観点から、新憲法にしっかりと位置づけるべきである。」)、そういった条項を入れ込むことによって、国家権力に対する命令の本質を持つ憲法の改変(国民が守るべき規範の方向)を考えていることだけは間違いないようだ。
憲法に道徳を持ち込むとしたら
「わが国の伝統である礼節を重んじ、『和』を大切にし、命を慈しみ、平和を愛し、自然のなかに豊かな生活文化を築き自然環境を大切にしてきた日本の国民性」という言葉は、倫理観・道徳観の問題であろう。
これを憲法に持ち込み、国民が守るべき規範・秩序と位置づけられれば、国家に対する規制という憲法の性格が大きく歪められることになる。
(なお、井上、保岡論争は、日本の軍備をもう一つの柱として鋭く対立した。その点は後日)
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