日弁連「憲法60周年記念シンポジウム」(2)・品川正治氏講演
7月22日に引き続き、日弁連「憲法60周年記念シンポジウム」の様子をご報告(紹介)します。
□ はじめ
私が是非ご紹介しておきたいと思った品川正治さんの講演です。
とにかく素晴らしく感動的な講演でした。
私は、講演会が好きで、時間の許す限り出かけるようにしているのですが、「拍手の鳴りやまない」講演会は、初めてでした。
それは、品川さんが、講演会で話をすること、聴衆に語りかけること、そのことに自分の命の意味を見つけようとされていて、そのことがひしひしと伝わって来るからではないでしょうか。しかし、これも所詮後から考えたものにすぎません。講演が終わって思わず拍手をした時には、ただただ感動し、その思いを拍手を続けることで表現したかっただけです。会場で拍手を止められなかった人たちは、それぞれの思いがあったんでしょうね。
品川さんのご経歴です。東京大学法学部を卒業された後、日本興亜損害保険株式会社(旧日本火災)の社長、会長、経済同友会の副代表幹事・専務理事等を歴任され、現在でも、経済同友会の終身幹事の肩書をお持ちです。
そして、お話をお聞きしていると、経済政策についてのご造詣が深いことを感じさせられる財界の方であることは間違いありません。しかし、最近は、自らの体験に基づく護憲の立場と新自由主義に対する批判的な立場から、全国各地で講演を行っていらっしゃいます。
(以下は、もちろん品川さんが7月21日に日弁連等が主催したシンポジウムで話された内容に基づいておりますが、あくまでも私のメモなどに基づくもので、趣旨を自分なりに理解して記述したつもりですが、感想・主観が入るのは当然で、品川さんの講演内容そのままでない箇所もあると思います。よって、記載に間違いがあれば、その責任は全て私にあることをお断りしておきます。品川さんのお話は、機会があれば、是非、直接聞いて下さい。)
□ 品川さんの戦争観
品川さんの原点は、1924年(大正13年)生まれのいわゆる戦中派であり、実際に戦争を兵隊として体験されているところにあります。小学校に入った頃に満州事変、中学校に入った頃に日中戦争、高等学校に入った頃に太平洋戦争。迫撃砲の破片がまだ足に残っているとおっしゃっています。こうしてお聞きすると、正真正銘の戦中派とおっしゃる意味がよく分かります。
第3高等学校2年生(注)で現役招集という形で入隊し、直ちに戦地に送られ、戦闘に参加されていますが、受験勉強を経て入った高等学校で非常なショックを受けたとおっしゃっています。「本当にあと2年しか生きておれない人間が学問をするとは一体どういうことなんだろう。みんな、全員が、2年以内に読み終えてしまいたいという本のリストを全部もっておりました」という状況。品川さん自身は、「死ぬまでに、あと2年の間に、カントの実践理性批判を読み終えて死にたい。・・原書で読んで死にたい。」そのように思われたそうです。
まだ20歳にもなっていない青年時代に、死を現実のものと意識して生きていくということが、どういうことなのか、想像を絶しますが、私にとっては、壮絶な「戦争の現実」の告発でした。
品川さんは、一浪、二浪の学生が次々と招集されて行く中で、当時、「国家が起こした戦争で国民の一人として、どう生き、どう死ぬのが正しいのか」を基本的な問題と捉えておられたが、後に、この問題の出し方自体が間違っていたと悟られる。
「戦争というのは人間が起こすんです。天災とか地変ではございません。戦争を起こす人がおるから戦争になるんです。しかし同時に、それを許さないで止める努力ができるのも人間なんです。おまえはどっちなんだと、そういうのが私の基本的な戦争観としてはっきりと、後の60年間は私の座標軸として一度も揺らいでおりません。」
□ 戦争というもの
高等学校2年で招集を受けた品川さんは、鳥取の連隊に入隊したそうです。その日、品川さんは、強いショックを受けたそうです。
品川さんら現役入隊した約一〇〇名を最前列に並べ、連隊長は、ごく短い訓辞をしたそうです。
「今日、入隊したこの男たちの顔をよく見ておけ。この男たちを殴った男は俺は切るぞ。この男たちは死にに行くんだ。わかったか。」
軍隊に招集されるということは、生きて帰れない覚悟をして行くということ。だから、品川さんも、死を覚悟していた。だからこそ2年間でカントの実践理性批判を読み終えて死にたいと考えた。
しかし、入隊したその日に「この男たちは死にに行くんだ」とはっきり言われれば、戦争・軍隊とは何であるかということを否応なく自覚させられるでしょう。凄まじい体験です。
品川さんらは、そのお陰で、軍隊につきものの新兵いじめは全く受けず、2週間で前線に送られたそうです。
なお、品川さんは、擲弾投手で、寝るときでも、体に12発の手榴弾を巻き付けていたそうで、殴られたりしなかったのは、そのせいでもあったと言われます。これもまたすごい話です。
□ 終戦と日本国憲法
品川さんたちの戦闘軍が武装解除されたのは、11月。その後捕虜収容所でしばらく暮らし、翌5月に復員されたそうです。
そのときのエピソードを2つお話し頂きました。
1つは、捕虜収容所での話。陸軍士官学校を出たような将校などを中心に、署名運動が起きたそうです。将校らの主張は、日本政府が「終戦」と呼んだことに抗議をするもので、「敗戦をはっきり認めて、国力が充実すればこの恥は必ず雪いでみせるというのがこれからの日本民族の生き方ではないか」というものだったそうです。
しかし、品川さんたち戦闘部隊だった人たちを中心に、それに対する激しい反対運動が起きたそうです。
「何を言っているんだ、300万の将兵を亡くし、1000万以上の中国人を殺し、最後には、一瞬にして広島、長崎で20万の命を失った。我々は終戦で結構だ。2度と戦争をしない国にするというのが我々のこれからの生き方なんだ。一体、あんたたちはどんな面下げて、これから、中国人、アジアの人たちと接しようとするのか。あれだけ他国を侵略して恥を雪ぐとは何事だ」
大部分が終戦派ということでおさまったそうですが、品川さんは、サラリと、「血の雨が降りました」とおっしゃる。しかし、すさまじい論争だったことは想像できます。
2は、復員の際の船内での出来事です。
品川さんたちの部隊は、上陸の足止めをくっていたのだそうです。
そのとき、ボロボロになった新聞が配られたそうです。それは、日本国憲法草案が発表された日の新聞だったのです。現在の日本国憲法の前文や9条そのままの草案だったそうです。
「その新聞を見て全員泣きました。よもや国家がそこまで踏み切ってくれるとは、我々は思っていなかったんです。これからの努力として、二度と戦争をしない国をどうつくらないといけないか、ということを考えておった。ところが、発表された憲法草案に、はっきりと陸海空軍は持たない、国の交戦権は認めない、そこまで書いている、ということを知って、これなら生きていける、これなら亡くなった戦友の魂も癒される。よくぞここまで思い切ってくれた。これならアジアに対する贖罪もできる。」
品川さんは、はじめて現憲法と出会ったその日を忘れられないとおっしゃいます。
□ 国民と支配政党との乖離
戦争とは、人を殺すことであり、また自らも命をかけることであり、「勝つ」という戦争の最大の目的のために、あらゆる価値が、最も大切なはずの命さえも軽んじられるという現実を品川さんは体験されました。品川さんは、太平洋戦争が正しかったどうかという問題に対する結論は出されませんでしたが、「戦争はあらゆるものを動員する」という現実を直視され、その戦争の現実を出発点に考え、また、講演を聴きに来ている人々に考えて欲しいと訴えられる。命さえ捨てなければならない戦争において、それ以外の様々な人権が軽く扱われるのは当然だと。
戦後、多くの国民が、日本国憲法を歓迎した。そのことは紛れもない事実。ところが、日本の支配政党と呼ばれる政党は、一度も、国民と二度と戦争をする国にはならないという決意をともにしていない。これほどに文化水準の高い国で、60年間、その状態が続いてきた。これも現実です。そういう中で、自衛隊ができ、有事立法ができ、特別措置法が次々とつくられ、米軍とのガイドラインも論議され、今や9条2項の旗はぼろぼろになってしまった。しかし、大事なのは、国民が、まだ旗竿を握って放していないということです。
支配政党は、その国民が握った旗竿を放させてみせると言ってきているというわけです。
9条2項の内容を持つ憲法を持っているのは、日本だけ。軍隊のある国、軍産複合体が経済を支配している国で憲法を改正して9条2項を持てといっても、今すぐには無理。しかし、21世紀は、国民が戦争を正面から問いただす世紀になるはず。9条2項の理念は、世界的に極めて重大な理念。紛争は起こるが、戦争にはしないというのが日本の憲法。日本が手放せば世界からその理念が消えてしまうという非常に重い理念=宝物。
□ 若い人へのメッセージ
品川さんは、若い人たちに戦争を伝える際に、戦争に3つの定義を与えているとされます。
1つは戦争ということになれば価値観が転倒してしまうよと。勝つためというのが最も高い価値を持って価値観の上位に来て、自由とか、人権、人類がこれだけ苦労して手に入れたそういう原理、その話は勝ってからだということになる。勝つためという価値観が一番前に出てしまうんだよ。一番大事な価値観だと、皆、思っておる命、それでさえ犠牲にして勝つという形になるんだよ。戦争というのはそういうものだよということを言います。
もう1つは、戦争というのはすべてを動員するんだよと。なにも経済とか労働力とかいう問題だけではない。学問も動員するよ。人文科学も動員するよ。社会科学も動員するよ。戦争というのはそういうもんだよ。日本の場合にはそれこそ「豊葦原の瑞穂の国は」という形で神の国、神国史観、これが公式であっただけじゃなくて、それ以外の史観を唱えることができなかった。あのゲーテを生み、カントを生み、ヘーゲルを生み、ベートーベンを生んだドイツ民族というのは文明的には随分進んだ民族だというふうにはどなたでもお考えだと思うんです。そのドイツ民族をホロコーストと称してユダヤ民族を500万殺したんだよ。戦争というのはそういうもんなんだと。
もう1つは普通の国のあり方としては三権分立といいますか、司法、行政、立法の三権分立はあたりまえの形として受け取られる。しかし、戦争ということになれば、その中心の権力の中に戦争を指導する部門というのがその中枢に座ってしまう、こういう国のあり方になってしまう、そういう話をします。
若い人に向けられた品川さんのメッセージに感動します。
ここまででも、力のこもった講演ですが、品川さんは、若い人へのメッセージに続けて、「ここで私は今日のもう一つの主題を申し上げます」とされ、「日本とアメリカとは価値観を共有している」とする最近の政界等の主張に対し、さらに力を込めて、反論されました。この日の講演の結論だと私は理解したのですが、「日本の国民の出番」に向けた品川さんのお話をご紹介します。
□ 「日本とアメリカが価値観を共有する」ことはありえない
「アメリカは、その『戦争』をしている国であることを日本はもっと本気で考えるべきだ」と、物静かな品川さんが、少し声を張り上げて、おっしゃったのを忘れられません。
平和憲法を持っている日本が、何故戦争をしているアメリカと価値観を共有できるのか、世界で原爆を落とした唯一の国であるアメリカと、その原爆を落とされた唯一の国である日本とが価値観を共有できるのか、この奇妙さ。何故違うと言えないのか。歴史をどう解釈したらいいのか。そんなことを沖縄の人に言えるのか。広島、長崎の人に言えるのか。
□ 国民の出番
品川さんは、外交官だけの集まりの席で、日本とアメリカの価値観の違いについて、尋ねたそうです。「あなた達の力で日本とアメリカとは違うということを納得させることができますか」
外交官の答えは、「できない」であったが、ものごとの本質をついた答えが、品川さんに返ってきました。それは「国民の力」でした。
それができるのは日本国民だけ。国民の力だけ。国民投票で憲法9条をやめることに関しては、国民がノーと言ってしまえば、アメリカと日本は違うということを世界に宣言した格好になる。それは、単に日本のこれからのあり方だけの問題ではなく、世界史も変えるだけの大きなこと。それができるのは国民だけ。
現役の方(外交官)からは拍手が起きたそうです。
品川さんの締めくくりの言葉をなるべく正確に記しておきたいと思います。
日本の国民の出番が来ました。アメリカの世界戦略を変えることができるのも,日本が「ノー」と言ってしまえば、世界2位の経済大国が資本主義のあり方もこれで行きますよという言い方を堂々としていけばそれでいいんじゃないか。日本の資本主義のやり方が間違っていたら、こんな世界2位になるはずはないんですよ。1人も外国人を主権の発動として殺さず、軍産複合体を持たないで世界2位の経済規模を築き上げた日本というのは自信を持っていいわけなんです。おかしいと思うことに関してはおかしいとはっきり言えばいいんです。しかし、それが言えるのは国民だけだという格好になったんです。国民の出番が来たということを、是非、みなさん方にお訴えして、みなさん方のこれからの憲法問題のみならず、この国のあり方、世界のあり方に関して俺は傍観者じゃないという立場になったんだ、本当にめずらしいくらい日本の国民の行動が世界史全体を変えるようなこんな時期というのは今までの歴史上は私は知らないですね。私は83まで生きながらえて本当によかったというのを率直に感じております。こういう時期に巡り合わして、しかし、それがノーという形を見るまで私が活動できるかどうかは、もう無理だろうと思いながら、しかし、今こそ訴えないと、この訴えるべき時期を自分が荏苒と過ごしたということを、これは一生、最後の悔いになってしまうんじゃないかと思って、みなさん方にこういう形で、もっと冷静に本当は話をすべきことなんでしょうけれども、私の訴えとしてみなさん方に今日はお話しした次第でございます。どうもご静聴ありがとうございました。
* 品川さんのお話は、資本主義のあり方にも及び、この点でも日米の価値観の共有を前提とした政策について厳しい批判をされています。私のこの報告は、私の力量不足のため、あるいは論点を絞って分かりやすくするため、憲法9条の問題に絞った内容になっています。その点で、品川さんの真意を十分にお伝えしきれていないことを危惧します。ただ、品川さんの思いは何とかお伝えできたのかと思います。
* なお、日弁連のシンポではないのですが、コメントをくださった金原徹雄弁護士が、九条の会・わかやまのホームページに、「九条の会・わかやま」と「憲法9条を守る和歌山弁護士の会」の共催で開催された「品川正治氏講演会『戦争・人間・憲法九条』」での品川さんの講演録の全文反訳を掲載されていますので、ご参照下さい。資本主義のあり方の問題についての品川さんのお考えをご理解頂けるものと思います。
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コメント
初めてお便りします。「憲法9条を守る和歌山弁護士の会」の事務局長を務めております金原徹雄(司法修習41期)と申します。日弁連シンポにおける品川さんの講演会の熱気がひしひしと伝わる記事を読ませて戴き、コメントさせて戴くこととしました。実は、当会も、去る6月2日に「九条の会・わかやま」との共催で品川さんの講演会を開催し、満員の聴衆が深い感銘を受けました。その講演録を反訳し(品川さんご自身に校正して戴きました)、「九条の会・わかやま」のホームページに公開しておりますので、ご紹介致します。(http://home.384.jp/kashi/9jowaka/602kiroku/sinagawa-all.htm)
基本的には、日弁連で話された内容と同趣旨ですが、その誠実な人柄が聴衆1人1人の胸に染み込む感動は、その場にいた者でなければ分からないとはいえ、何としても1人でも多くの人に品川さんの講演の内容を知ってもらいたいという思いに突き動かされ、私がこつこつと反訳したものです。坪田先生がこのブログで品川さんの講演の内容を詳しく紹介したいと思われたのも、同趣旨ではないかと推測します。
福井弁護士9条の会の熱心な活動は、ホームページ等で拝見し、かねてから敬意を抱いておりました。当会は、まだまだ独自のホームページを開設するだけの余力がありませんが、9条を守る運動の裾野を拡げるため、出来る限りの努力を続けていきたいと考えております。
投稿: 金原徹雄 | 2007年8月 7日 (火) 12時01分
金原徹雄先生
コメント、ありがとうございます。
ご推察のとおりです。
品川さんのお話をお聞きし、このお話は、直接お聞きしないと、感動は十分に伝わらないと思いつつも、それでも、少しでも伝えられたらと思い、少し時間がかかったのですが、自分なりにまとめてみました(まだ途中ですが)。
早速、「九条の会・わかやま」のホームページを拝見致しました。
品川さんの講演録は、とても貴重なものです。
これを全て自力で反訳されたご努力に感服致しました。
この国の憲法が危ないと今ほど実感する時はこれまでありませんでした。
全国の九条の会が横の結束を考えなければいけない時期に来ているのではないでしょうか。
今後ともよろしくお願いします。
投稿: 坪田 | 2007年8月 7日 (火) 17時27分