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2008年4月20日 (日)

名古屋高裁判決と平和的生存権

 17日の名古屋高裁判決は、平和的生存権についてとても重要な考え方を示しています。

「このような平和的生存権は、現代において憲法の保障する基本的人権が平和の基盤なしには存立し得ないことからして、全ての基本的人権の基礎にあってその享有を可能ならしめる基底的権利であるということができ、単に憲法の基本的精神や理念を表明したに留まるものではない。法規範性を有するというべき憲法前文が上記のとおり『平和のうちに生存する権利』を名言している上に、憲法9条が国の行為の側から客観的制度として戦争放棄や戦力不保持を規定し、さらに、人格権を規定する憲法13条をはじめ、憲法第3章が個別的な基本的人権を規定していることからすれば、平和的生存権は、憲法上の法的な権利として認められるべきである。そして、この平和的生存権は、局面に応じて自由権的、社会権的又は参政権的な態様をもって表れる複合的な権利ということができ、裁判所に対してその保護・救済を求め法的強制措置の発動を請求し得るという意味における具体的権利性が肯定される場合があるということができる。例えば、憲法9条に違反する国の行為、すなわち戦争の遂行、武力の行使等や、戦争の準備行為等によって、個人の生命、自由が侵害され又は侵害の危機にさらされ、あるいは、現実的な戦争等による被害や恐怖にさらされるような場合、また、憲法9条に違反する戟争の遂行等への加担・協力を強制されるような場合には、平和的生存権の主として自由権的な態様の表れとして、裁判所に対し当該違憲行為の差止請求や損害賠償請求等の方法により救済を求めることができる場合があると解することができ、その限りでは平和的生存権に具体的権利性がある。
 なお、「平和」が抽象的概念であることや、平和の到達点及び達成する手段・方法も多岐多様であること等を根拠に、平和的生存権の権利性や、具体的権利性の可能性を否定する見解があるが、憲法上の概念はおよそ抽象的なものであって、解釈によってそれが充填されていくものであること、例えば「自由」や「平等」ですら、その達成手段や方法は多岐多様というべきであることからすれば、ひとり平和的生存権のみ、平和概念の抽象性等のためにその法的権利性や具体的権利性の可能性が否定されなければならない理由はないというべきである。」

 憲法が保障する基本的人権と戦争との関係を素直に考えて行くならば、まさしく、そのとおりです。
 ネルソンさんが戦争の本質を訴えられました。品川さんが戦争は全てを動員するとおっしゃった。そういった基本的人権をないがしろにする戦争の本質を正面から受け止めるならば、この名古屋高裁の判旨は、余りに当たり前のことではあるのですが、その当たり前がなかなか認められない現実があります。様々な利害が絡み合うためです。
 しかし、司法は、そういった利害とは無縁のところで、率直な正義を語って欲しいものだと思うのです。
 名古屋高裁判決は、裁判官が本来の役割を果たしたという意味でも、本当に素晴らしい判決だとしみじみ思います。

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投稿: みんな の プロフィール | 2008年4月22日 (火) 11時16分

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