9条世界会議(3)-5月6日記者会見
9条世界会議の5月6日の記者会見の模様が、「お玉おばさんでもわかる政治のお話」で紹介されていました。→ここです
ワクワクするような話があります。プレ会議をコスタリカなど世界中で開催し2回目をやるということだそうです。
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9条世界会議の5月6日の記者会見の模様が、「お玉おばさんでもわかる政治のお話」で紹介されていました。→ここです
ワクワクするような話があります。プレ会議をコスタリカなど世界中で開催し2回目をやるということだそうです。
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全体会議は、約10分の休憩後に二部に入り、多彩なゲストのトークとパフォーマンスがこれでもかと言わんばかりに交互に行われ、私は感動しっぱなしでした。
翌日(5日)のミニステージでじっくりとその美しい歌声をお聞きすることができたナターシャ・グジーさんの歌は心に染み渡りました。
その後の「トークセッション」でのアン・ライトさん、高遠菜穂子さん、カーシム・トゥルキさん、エイダン・デルガドさん、雨宮処凜さんのそれぞれのお話は、皆さんが凄まじい経験に基づいて話されているだけに、衝撃的でした。高遠さんの場合は死の恐怖との闘いだったと思いますし、帰国後の騒ぎによっても心に大きな傷を負われたと思うのですが、毅然と立っておられました。「私は9条によって守られた」とはっきりとおっしゃったことには、感動しました。
こうして感動の二部が終わり、少し疲れたので、会場から出て食事をし、三部の MUSIC LIVE を聴くために戻ったのですが、トリの加藤登紀子さんのステージが終わったのが午後10時半頃でした。たっぷりと聴かせてもらいました。感動に充たされておりました。ぜいたく過ぎる時間でした。
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5月4日の全体会議は、圧巻でした。
三部仕立ての一部は、「世界の希望としての9条」と題して、憲法9条に関する多くの方の発言を聞くことができました。
基調講演は、マイレッド・コリガン・マグワイアさん(北アイルランド、1976年ノーベル平和賞)と、コーラ・ワイスさん(アメリカ、「国際平和ビューロー」元会長)のお二人。
そこに、海外ゲストとして、GPPAC、国際民主法律家協会からの発言。
まさしく、グローバル9条。日本国憲法は、もはや日本だけのものではないのだということを実感する時間でした。
その後、広島から71日間かけて歩いて9条をアピールされてきた「9条ピースウォーク」のメンバーが会場に到着され、9条への思いを報告してくれました。
そして、池田香代子さん登場。あの独特の静かで柔らかな語り口。「平和憲法は私たちが選び取って来たもの」であるとされた。
そう、私たち日本国民は憲法を自らの意思で選んで来たのだし、これからも選ぶ権利を持っている。一人一人が9条を選び取るか否かが問われている。61年間も選び取って来た9条を今後は選ばないのかどうかということを考えなければならない。
池田さんは、言葉を選んで話をされるので、単語の一つ一つが心に響く。
お話の最後は、土屋公献元日弁連会長。「立派な軍隊を持ちつつ9条を世界に広めようとはおこがましいが、矛盾を打破して堂々と呼び掛けるべきだ」と・・・。
最後に、第9の演奏で、一部は終了したのでした。
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5月4、5日と、幕張メッセで開催された「9条世界会議」に参加しました。
5月4日、会場の幕張メッセには1万2000人、入りきれない人3000人、合わせて1万5000人が集まったそうです(翌日の朝日新聞)。私は、運良くぎりぎり会場に入ることができました(かなり危うかったけど)。
一言で言えば、あの時、あの場所で、志を同じくした多くの人たちと一緒にいて同じ思いを共有できたこと、そのことに感謝したい思いです。
5月4日の全体会議の会場では、発言したほとんどの人が、異口同音に「この会議に参加できたことに感謝します」という趣旨のことを述べておられた。「9条を世界共通の憲法にして、この地球から戦争をなくしたい」その思いが会場に満ち溢れていました。その共通の思いを持った人たちが1万人以上集まることで自然に高揚する会場の雰囲気。それだけで感動するに十分です。そして、自分がそこにいることができた。それだけで十分に満足してしまいました。
それだけでも十分に満足だというのに、さらに、主催者が用意した素晴らしい発言者、アーティスト達・・・。私には贅沢すぎる時間でした。
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17日の名古屋高裁判決は、平和的生存権についてとても重要な考え方を示しています。
「このような平和的生存権は、現代において憲法の保障する基本的人権が平和の基盤なしには存立し得ないことからして、全ての基本的人権の基礎にあってその享有を可能ならしめる基底的権利であるということができ、単に憲法の基本的精神や理念を表明したに留まるものではない。法規範性を有するというべき憲法前文が上記のとおり『平和のうちに生存する権利』を名言している上に、憲法9条が国の行為の側から客観的制度として戦争放棄や戦力不保持を規定し、さらに、人格権を規定する憲法13条をはじめ、憲法第3章が個別的な基本的人権を規定していることからすれば、平和的生存権は、憲法上の法的な権利として認められるべきである。そして、この平和的生存権は、局面に応じて自由権的、社会権的又は参政権的な態様をもって表れる複合的な権利ということができ、裁判所に対してその保護・救済を求め法的強制措置の発動を請求し得るという意味における具体的権利性が肯定される場合があるということができる。例えば、憲法9条に違反する国の行為、すなわち戦争の遂行、武力の行使等や、戦争の準備行為等によって、個人の生命、自由が侵害され又は侵害の危機にさらされ、あるいは、現実的な戦争等による被害や恐怖にさらされるような場合、また、憲法9条に違反する戟争の遂行等への加担・協力を強制されるような場合には、平和的生存権の主として自由権的な態様の表れとして、裁判所に対し当該違憲行為の差止請求や損害賠償請求等の方法により救済を求めることができる場合があると解することができ、その限りでは平和的生存権に具体的権利性がある。
なお、「平和」が抽象的概念であることや、平和の到達点及び達成する手段・方法も多岐多様であること等を根拠に、平和的生存権の権利性や、具体的権利性の可能性を否定する見解があるが、憲法上の概念はおよそ抽象的なものであって、解釈によってそれが充填されていくものであること、例えば「自由」や「平等」ですら、その達成手段や方法は多岐多様というべきであることからすれば、ひとり平和的生存権のみ、平和概念の抽象性等のためにその法的権利性や具体的権利性の可能性が否定されなければならない理由はないというべきである。」
憲法が保障する基本的人権と戦争との関係を素直に考えて行くならば、まさしく、そのとおりです。
ネルソンさんが戦争の本質を訴えられました。品川さんが戦争は全てを動員するとおっしゃった。そういった基本的人権をないがしろにする戦争の本質を正面から受け止めるならば、この名古屋高裁の判旨は、余りに当たり前のことではあるのですが、その当たり前がなかなか認められない現実があります。様々な利害が絡み合うためです。
しかし、司法は、そういった利害とは無縁のところで、率直な正義を語って欲しいものだと思うのです。
名古屋高裁判決は、裁判官が本来の役割を果たしたという意味でも、本当に素晴らしい判決だとしみじみ思います。
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名古屋高裁平成20年4月17日判決
原告の訴えに正面から答えた素晴らしい判決でした。→判決全文
日本の裁判所は憲法判断を回避したがる傾向があまりに強い。あきれるほどに。司法の役割の放棄と言われることさえあります。
そういう中、敢えて「平和的生存権」の具体的権利性を確認し、政府が国会にも国民にもイラク戦争の実態を明らかにしないことを痛烈に批判し、イラクの実態を丁寧に認定した上で、航空自衛隊の輸送について「少なくとも多国籍軍の武装兵員をバクダッドへ空輸するものについて」「他国による武力行使と一体化した行動」「自らも武力の行使を行ったと評価を受けざるを得ない行動」と判決に書き込んだ裁判官に敬服します。
また、ここまで訴訟を維持し判決を勝ち取った弁護団の尽力には頭が下がる思いです。
どこの新聞社だか忘れましたが、この判決を受け、イラクの実態があまりにも伝わっていないことの問題を指摘していましたが、本当にそうだと思いますし、この判決が、日本における情報の乏しさ(日本政府の秘密主義)を改めて浮き彫りにしたと思います。裁判官は、この判決を通して、イラクにおけるすさまじい戦闘の一端でもいいから明らかにしたいと思ったのではないでしょうか。
判旨の一部ですが、以下に要約しておきます(正確さを犠牲にして数字を拾っています)。
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さすが赤旗と言うべきか?!
こういった情報が入ってくるんですね。
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik07/2007-12-25/2007122501_01_0.html
国会で野党が追及しても防衛省が頑として公表を拒否してきたインド洋上での外国艦船への給油活動に必要な燃料の調達先が分かったそうだ。
「関係者」の話となっているので、裏付けがないままとなるが、ここまで明確な記事になっているんだから、赤旗編集部では、信憑性は十分にあると考えたんだろうと思う。
この記事によると、2社が最初からずっと独占受注しているとのことだから、約49万キロリットルの給油で225億円の税金が投入された結果、いくらが利益になったんだろう。
自民党は、給油活動に異常に固執しているけど、こういった問題も含めて、きちんと議論してもらわないと、到底納得がいかない。
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少し前のアサヒコムの記事
http://www.asahi.com/politics/update/0922/TKY200709220136.html
ですが、やはりというか、海上自衛隊の補給艦がイラク作戦にも参加していた米軍揚陸艦ジュノーに給油をしていたことが分かったとのことです。
ジュノーは、2005年当時、イラクの自由作戦(OIF)の一環として、沖縄に駐留する海兵隊をイラク国内に投入するためペルシャ湾北部に派遣。この間、インド洋のアデン湾などで海自の補給艦から3回にわたって燃料、食料の補給を受けたとのこと。
当時のジュノーのロナルド・ホートン艦長(47)(現米空母エンタープライズ艦長)は、朝日新聞記者のインタビューに応じ、「当時は、いまよりも頻繁に海自の補給艦から給油を受けた。日本の貢献は絶大だった」と述べたそうです。
ジュノーは、「不朽の自由作戦」(アフガン戦争)にも組み込まれていたそうですから、「作戦の時期が明確に区別されない限り、海自から補給された燃料がどの作戦に消費されたかを特定するのは困難とみられる」とされてますが、そんな区別は無理でしょう。アメリカ自身が、そんな区別をせずに作戦を遂行しているのでしょうから。
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報道ステーションの報道は、今ひとつすっきりしないと思っていた。
そこで、いろいろ検索しているうちに、報道ステーションにも登場されていた梅林宏道氏が代表をされている「ピースデポ」のサイトに行き当たった。
ここ↓
http://www.peacedepot.org/media/pcr/mediarelease3/oil.htm
報道ステーションの報道は、この「ピースデポ」の調査結果に基づいて編集されていると推測される。
この「ピースデポ」の記事は、細かい資料から事実を追っていて、報道ステーションの報道なんかより、はるかに分かりやすい。
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9月20日の報道ステーションの報道は、より具体的だった。
○ ちょっとした基礎知識
海上自衛隊は、テロ特措法に基づき、アラビア海を中心としたインド洋で、給油活動に専念していると言われている。
国連の活動ではなく、アメリカ主導の「不朽の自由作戦 (OEF: Operation Enduring Freedom)」の海上阻止行動(武器・弾薬やテロリスト、資金源となる麻薬などの海上輸送を阻止する活動)に従事する米軍などの艦船に対する洋上補給(給油)である。
この「不朽の自由作戦」に参加している有志連合の国は相当数あるが、海上自衛隊がこれまでに給油した艦船ということになると、アメリカが最も多く、パキスタン、フランス、カナダ、イタリア、イギリス、ニュージーランド、ドイツ、ギリシア、オランダ、スペインなどとなる。
(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』などより)
とにかく、海上自衛隊は、アメリカのテロ報復攻撃としてのアフガン戦争に、給油という形で参加をしているのである。
ところが、この「不朽の自由作戦」(アフガン戦争)に参加する艦船への給油のはずが、イラク戦争に参加する艦船への給油にすり替わっているのではないかという点が問題となっている。
ちなみに、この「不朽の自由作戦」は、国連平和維持活動(PKO)である国際治安支援部隊(International Security Assistance Force、略称ISAF )とは、区別する必要がある。
○ 報道ステーションの報道の内容
報道内容を箇条書きで整理して見ると、以下のとおり。
これらの事実も、断片的であって、給油がイラク戦争にどの程度流用されているのかを明らかにするものではない。
しかし、先日の江田氏の指摘も合わせて考えると、海上自衛隊の補給艦が給油した油がイラク戦争で使用されていることは、ほぼ間違いないと思う。
かくなるうえは、情報は全て公開した上で、実りある議論をして欲しい。
抽象的な議論はやめて欲しいものだ。
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○ 情報のないままの議論の不毛さ
テロ特措法(正式には、「平成十三年九月十一日のアメリカ合衆国において発生したテロリストによる攻撃等に対応して行われる国際連合憲章の目的達成のための諸外国の活動に対して我が国が実施する措置及び関連する国際連合決議等に基づく人道的措置に関する特別措置法」という長ったらしい法律)の延長問題について、考えてみたい。
というのは、民主党の小沢氏が延長に反対する姿勢を明確にし、これに対し、安倍氏が、「職を賭して」などと言い出し、そして、小沢氏が会ってくれないので辞めると言い出した・・・今の自民党総裁選挙の大騒ぎは、ここから始まったのだと思うから。
しかし、このテロ特措法に基づき自衛隊が何をやっているのか、アフガニスタンの状況がどうなっているのか、事実は、ほとんど伝わって来ない。少なくとも、新聞やテレビを見ていても、上滑りのお話ばかりで、判断するための材料がない。事実に基づかない空中戦の議論を聞いていると、率直に言って、うんざりだし、不毛である。
元はと言えば、政府が悪い。情報を伝えていないのだから。
情報を公開せずに、首相が約束してきちゃったんだから、国際公約(この言葉の使い方にも問題があるけど)なんだから、賛成しろというのは、専制国家と同じである。
○ 給油の85%がイラク戦争のため?
ポツポツと出始めているのは、自衛隊の給油の実態である。
朝まで生テレビ(8月31日)における江田氏の発言は、これらのキーワードで検索をかけると、多くのサイトやブログがとりあげていることが分かる。
要は、海上自衛隊の補給船(「海上無料ガソリンスタンド」)が給油した油(防衛庁が発表しているこれまでの米国艦船への補給は38万キロリットル)の85%ぐらい(8662万9675ガロン=32万7893キロリットル)は、イラク戦争に展開するアメリカの艦船に使われていたという事実である。
インド洋に展開する自衛隊の補給船が給油している油は、イラク戦争に使われているということは、以前から、多くの人が指摘してきたことだが、江田氏の指摘は、具体的な資料に基づく具体的な数量を示してのものだったので、衝撃的だった。
そもそも、自衛隊の補給船は、アメリカなどの補給船に給油をしているから、アメリカなどの補給船がさらにどこに使用するかはお任せになっているし、給油の場所が場所(http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/41/Arabian_Sea_map.png)だから、アメリカなどからすれば、ある意味自然である。
また、江田氏も指摘しているが、日本の政府が、そんなことは十分に分かっていながら、国民を騙して来たとすれば、問題は極めて重要である。
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中日新聞の「新防人考4」(2007年8月22日)の記事は、興味深い事実を書いていた。
日本は、湾岸戦争で130億ドル(当時のレートで1兆7000億円)という多額の金員を拠出した。ところが、「血も汗も流さない」と批判を浴びたと言われる。記事では、「トラウマ」と指摘している。
なるほど、9条を改憲すべしとする根拠にこのことがよく引き合いに出される。血や汗を流すことが国際貢献だ、だから9条を改定して軍隊を持ち、血も汗も流すべきだと。テロ特措法、イラク特措法制定の際や自衛隊法改正の際にも、このことが強調され、あっという間に国会を通過した。
まぁ、私は、そもそもこういう議論の立て方自体がおかしいと思っているけど、義理や人情のしがらみに弱い日本人は、「国際貢献」という言葉に弱い。私自身も実は弱い。無視することはできない。そこで、中日新聞の記事は非常に重要になってくる。
前記記事は、次のような事実を指摘している。
「91年3月、クウェート政府は米国など30カ国に謝意を示す広告を米紙に掲載した。この中に日本の名前はなかった。」
「ところが、実は130億ドルの大半が、多国籍軍の中核を成した米国に戦費として支払われた可能性が高いのだ。使途が公表された追加分90億ドル(1兆1800億円)の内訳をみると、米国へは1兆790億円が渡ったが、クウェートへ回されたのは、はるかに少ない約6億3000万円だけ。本来の目的である戦後復興に使われていないのだから、感謝の広告に日本の名前がないのもうなずける。」
何のことはない。日本は、そのお金のほとんどをアメリカに、しかも戦費として支払っただけである。こんなことをしていたら、国際的に評価されるはずはない。クウェートだって、感謝できない。
なお、この記事は、以下のような元政府高官の話を引用しつつ、本当に外務省のミスだったのかと疑問を留保する。トラウマが「自衛隊の海外活動を拡大するエネルギー源」としての命脈を保ち続けていると指摘する。
「あれは、外務省のミスだ。戦費の大半を日本が負担したことをクウェートに説明しなかった。人的貢献をしなければ、世界的に評価されないというのは間違いだ」
湾岸戦争における多額の金員の拠出をアメリカに集中させたことが、結果として、自衛隊の海外派兵を加速させてきたことは、指摘のとおりであり、少なくとも、政府がこれを利用したことは明白である。
そうすると、一歩進めて考えれば、あり得ない話ではない。
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NHKの「日本のこれから 考えてみませんか?憲法9条」を見た。
番組のホームページ(http://www.nhk.or.jp/korekara/)によると、コンセプトは、以下のとおり。
今年、日本国憲法は施行から60年を迎えました。また、5月には憲法改正の手続き法にあたる国民投票法が成立しました。こうした中、改憲の是非を巡り様々な議論が巻き起こっています。
9条を改め、正式な軍を持つことを明記すべきだという考え方もあれば、戦力の放棄を掲げた憲法は世界的にも貴重で改めるべきではないという考え方もあります。
そこで、終戦の日である8月15日に、一般視聴者や有識者の皆さんをお招きして徹底的に討論します。
賛否についての数字を出してなかったので、正確には分からないが、一般視聴者の9条の改憲賛成派と反対派は、ほぼ同数という印象だった。
率直に言って、驚いたのは、改憲を支持する方々の主張の中に、極めて理念的・抽象的な内容が多かったことだ。中には、論理の展開が急で(論理の飛躍と言ってもよい)おっしゃることの意味が咀嚼しきれないケースも散見された。感情的な不規則発言も目立ったかなと思う。改憲派の主張に虚心に耳を傾けてみたいと思って見始めたので、もっと、現実から出発し、どうやって平和を守るべきなのかという論理の展開を期待(?)していたが、肩すかしをくらった。
他方で、改憲に反対する人たちの主張は、むしろ、とても現実的で、具体的な事実を踏まえて、押さえ気味に話していたという印象を持った。
護憲=理想主義、改憲=現実主義という図式化は、昨日の番組を見る限り、当たっていない。
結論が先にありきは、むしろ改憲派なのではないかとも思った。
なお、NHKが用意した映像の中のあるフリーターの人が、9条改正に賛成し、「このまま生きて、死んで行っても、それだけのことだが、戦争が起きて、兵隊に志願して戦死すれば、英霊かどうかはともかくとして、国のために死んだと評価される」という趣旨の発言をされていたのが、とても強く心に残った。
彼が何故そういう発言をしたのかについてまでは掘り下げていなかったので、真意は分からない。ただ、NHKが敢えてこの方の発言を用意したことからすると、その意味するところは、このままだと、ひたすらぎりぎりの生活を維持するために働き続け、働く意義や社会における自分の存在意義を感じることができずに死んで行くことになる。それならば、戦争でも起きて自分の「生」の意味を感じて死んでゆく方がよいという叫びではなかったかと思った。
彼は、真剣に生きる意味を考えようとしているからこそ、そういう発想に行き着いたのではないかと思うと、この国のありように、怒りを覚える。
憲法9条の問題は、生存権の保障とも深く結びついていると思う。
また、日本が軍隊を持ち、戦争になった時、まっさきに戦場に送られるのは、決して富裕層からでないことは、誰も否定しないだろう。アメリカの例からしても、生活のために志願をする人たちが戦場に送られる。先ほどの彼は、そのことも分かっているのだと思う。
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グローバル9条キャンペーンのことは、福井弁護士9条の会でわざわざ福井まで来ていただいた笹本潤弁護士の講演の内容として以前にもご紹介したことがあります。→こちらです。
笹本弁護士とお会いする機会があり、グローバル9条キャンペーン編の書籍を紹介されて直ちに購入しました。
まだ、ぱらぱらとめくってみただけですが、世界から日本国憲法9条を見る視点の大切さを再度確認させて頂いた気がします。
「重要なことは、九条の要請する『軍隊・武器の廃絶』や『武力によらない平和』は、日本だけの運動では実現できないということです。憲法前文が『平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持』すると唱っているのは、日本の市民が、平和を愛する海外の人たちと協力して、九条のように武力に頼らなくてもいい国際環境をつくることを求めているのです。」という下りは、憲法が目指した理想を喝破していると言えるのではないでしょうか。
北朝鮮や中国の脅威を持ち出して、だからこそ日本人の安全のために軍備は必要だという議論がそれなりの説得力を持って語られることが多いのですが、だからこそ、そういう武力に頼らなくてもいい国際環境をつくるように努力すべきだというのが、この書籍の発想の根本にあると思います。
日本国憲法は、武力を持たずに他力本願で平和を他国に依存するだけで日本の平和が実現するなんて甘いことは言っていないということを忘れてはいけないと思います。
念のために、日本国憲法の条文を引用しておきます。
日本国憲法前文(抜粋)
日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。
日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。
なお、「平和的生存権」という人権の観点から平和をとらえるとするならば、日本国憲法12条は、極めて大切で本質的なことを指摘しています。
日本国憲法12条
この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。
(まだ、読んでいる最中ですので、読後感を含めて書きかえるかも知れません)
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日本の周辺のアジアの人たちにとって、日本の軍備は脅威だと思います。現在は憲法9条があって、自衛隊(Self-Defense Forces)は、専守防衛に活動を限定されています。憲法9条の存在が安心を与え、アジアの平和に貢献しているとよく言われます。
しかし、ここで日本が憲法9条を改悪して、自衛隊ではなく軍隊を持つとなったら、いかに脅威であるか。立場を代えて考えてみれば、容易に想像できます。
(山田朗著「護憲派のための軍事入門」(花伝社発行)36頁より)
この表によると、自衛隊である今でも、自衛隊の装備は、その予算規模で比較すると、アメリカを別格として、フランス、イギリスと肩を並べるレベルにあります。その自衛隊が軍隊となり、装備を質・量ともに拡大するだけでなく、世界で突出したアメリカの軍隊と結びつきを強めるとしたら、こんな恐ろしいことはありません。
ちなみに、日本においては、北朝鮮の脅威が言われます。憲法9条の改変すなわち軍隊を持つ必要について、北朝鮮の脅威が主張されます。
しかし、北朝鮮の国家予算の規模については、新潟県の県予算と同じだとか、埼玉県と同じとか、いろいろな説があるのですが(換算の仕方によっても違うので難しいのですが、一度きちんと検討してみなくてはいけません)、いずれにしても、その程度の資力しかありません。
アジアの他国からすれば、北朝鮮より日本の方がはるかに脅威なのです。
そうすると、日本国憲法9条が改変され、自衛隊が軍隊になり、集団的自衛権をも行使できるとなった場合、日本周辺の国が、危機感にかられて軍備を増強するのは当然で、これによって、一定期間、軍備増強合戦が、人的にも物的にも行われると思います。
余りに不幸な連鎖と言わねばなりません。武力衝突の危険が増すことは間違いありません。
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もしも憲法9条から2項が削除され、自衛隊が軍隊にされてしまったら???
あまり考えたくありません。
しかし、憲法改悪を第1目標に掲げた首相が登場し、「新憲法制定」を連呼している。考えざるを得ません。→自民党の新憲法草案での9条の中身はこちら
(ちなみに、彼らは、憲法改正を目指すのではなく、「新憲法制定」を目指しているんですよね。「新憲法草案」ですから。)
自衛隊は、誰が見ても、軍隊です。予算規模で見ても、世界有数の資金を費やしています。アメリカが突出していますが、日本は、イギリス、フランスと並び、世界2~4位の軍事予算を使っています。
でも、「軍隊ではない」のです。笑い話でしかないのですが、そう強弁して来たのが、自民党歴代政府でした。
かつて政府がGNP1%枠という制約を自ら課した(最近どうなったんでしょう?)のも、「自衛隊は自衛のための最小限度の装備なので」「その程度しかお金を使っていません」と言い逃れをするためでした。
しかし、・・・。
憲法9条が改悪されたら・・、そういう弁解は必要ありません。「湯水のごとく」という訳にはいかないでしょうが、かといって、「遠慮しながらこそこそと」という必要もなくなります(客観的にはどうみても「遠慮しながら」ではないという問題はとりあえずおきます)。
しかも、憲法9条2項の削除並びに9条の2の新設、すなわち自衛隊の軍隊への再編、集団的自衛権の承認は、アメリカの要求に基づくものです(このことは、もはや客観的な事実でしょう)。アメリカは、「蓮の葉戦略」(Lily Pad Strategy)と呼ばれる米軍再編の一環として、自衛隊のtransformation(転換)を要求していると言われています。ですから、9条が今のまま変わらなければ、アメリカの要求に対して、日本政府も、「日本国憲法がある以上、『自衛権』を逸脱するような軍備を持つことはできないのです」と言えるし、アメリカもそれ以上のことは簡単には言えないのですが、その歯止めがなくなったら、アメリカの要求に従って、アメリカの戦略の片棒を担ぐための軍隊の再編を余儀なくされてしまいます。
もちろん、そんな要求、我が国の内閣総理大臣や政府が、「内政干渉」だと突っぱねられるのであれば、杞憂になりますが、そんなこと逆立ちしたってあり得ない(と思う)。
さらに、憲法が集団的自衛権の行使を容認したとき・・・、安保条約の改定がまっさきに行われると想像できます。
「対等の立場にたった」なんていいながら、日本がアメリカの戦争に巻き込まれて行く道筋が見えてきます。
・・・憲法9条は、今のままでようやく自衛隊がアメリカの戦略の中に完全に組み込まれる寸前のところで阻止していると思う。本当にそう思う。歯止めを外しては絶対にいけない。そう思う。
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◇ 福井弁護士9条の会総会・笹本潤弁護士の講演
6月14日は、「福井弁護士9条の会」の総会だった。そこで聴いた笹本潤弁護士の講演がとてもよかった。
笹本弁護士がどういう活動をされているかについては以下のサイト(ちょっと情報が古いけど)に書いてある。
http://www.jicl.jp/hitokoto/backnumber/20051003.html
メモをとっていなかったので、細かいことが書けないけど、「グローバル9条キャンペーン」の発想は、9条をグローバル化しようという発想は、すごいことだと思った。
とても分かりやすい。
そして、笹本弁護士の話は、なにより、理屈抜きで感性に働きかけるものがあった。笹本弁護士が多くの国に実際に出掛けていって直にインタビューした結果がビデオに納められていた。そこでは、多くの国の国民が、「9条」を意識し、「9条」を象徴として運動を進めようとし、「9条」があるからこそ日本を信じられると言い、今こそ「9条」が全世界のものになるべきだと熱く語っていた。映像のインパクトは非常に強いものがあり、自ら足を運んで直に話を聞いてきた人(笹本弁護士)の話は、説得力があった。
そして、9条を中心に置くことにより、世界の人たちが同じメッセージを発信できる。
狭い日本だけで9条の問題を考えていると、どうしても、9条がまだ守られていた昔の話になってしまう。話は、どうしてもそこに戻る方向に流れ、愚痴に近くなる。
(そのこと自体、悪いことではないどころか重要なことだと思うが)例えば、戦後配られた教科書などには戦争放棄、軍隊の放棄がはっきりと書かれていたというようなことである。
こういう歴史的事実は重いが、発想が過去に戻り、運動も、そのよかった頃に戻すような発想になりがちで、話が未来へと向かっていかないという欠点がある。「9条いまこそ旬」になりにくい。
そう言えば、以前、私自身、韓国の弁護士の話を直接聞く機会を持ち、日本でもなかなか認められない「平和的生存権」を韓国の裁判所で認めさせた話に感動をしたことがある。
9条を日本人の目からだけでなく、もっと広い視点でとらえ直すことの重要性を改めて感じるし、日本においては9条を実現する運動、世界においては9条をグローバル化する催しへの参加が非常に大事であると思う。同時に、そのことが我々自身を元気にしてくれることだと思う。
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自民党の新憲法草案に書き込まれた「軍事裁判所を設置する」(第76条3項)については、今のところ、余り議論されていない様子ですし、正直言って今まで余り重視していなかったのですが、昨日も紹介した田岡氏の説明を拝見して、実は極めて重大な条項ではないかと思い始めました(お恥ずかしい)。
改めて、条文を眺めてみますと、
となっています。
これだけを眺めてもよく分からないので、現在の日本国憲法を比較してみましょう。
現行の日本国憲法は、特別裁判所の設置を禁止しており、司法権は、最高裁判所を頂点とする裁判所が独占する構造になっています。これは、法的紛争については、全て民主的な手続で選任された裁判官によって裁くことにし、行政機関が裁くとか軍法会議が審理するなどの例外を一切認めないという趣旨です。
ところが、ここに軍事裁判所という特殊な存在を持ち込もうというのが、自民党の新憲法草案ということになります。批判を回避しようとしたのか、現行の日本国憲法の他の条項はそのまま残しましたので、軍事裁判所は特別裁判所ではないということには一応なります(そうでなければ条文自体が矛盾していることになります)。控訴・上告によって高裁・最高裁による三審制を維持する限りにおいては、その範囲で民主的な担保があるということになるのでしょうか。
しかし、そうであるなら、敢えて軍事裁判所を設ける意味が余りないわけですし、名称からして明らかに軍人や軍隊に関わる紛争を裁くことを予定しておりますから、ここの条文の構造は、矛盾を抱えていることになります。
この矛盾は、将来修正されるのではないかと思うのですが、修正の方向は国民にとってよい方向に行くとは思えません。
また、軍事裁判所の審理の対象も問題となります。軍人の犯罪行為を裁くのが第1の役割になると思いますが、「たむ・たむ(多夢・太夢)ページ」(http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/index.html)さんの「自民党新憲法草案に関する各政党の主張」を見ていたところ、「『軍事に関する裁判』の対象が軍人に限定されるとは限りません。“軍の機密を守る”という名目で一般国民も憲兵隊の監視対象とされ、「軍事に関する」法律に違反したとみなされれば、軍事裁判所で裁かれる可能性もあります」との記述を発見しました。本日報道のあった陸上自衛隊情報保全隊の逸脱行動(http://www.asahi.com/national/update/0606/TKY200706060369.html)を知ると、そういうことが十分に考えられますから、恐ろしくなります。(この問題の詳細は、これを告発した日本共産党のホームページで見ることができます。→ここ)
「法律の定めるところにより」との文言は、前後にこれを限定する文言が見あたりませんから、法律で決めれば何でもできることになります。十分に考えられます。恐いことです。
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自民党の新憲法草案に軍事裁判所の設置に関する条項があることを書き込んだところ、早速、さきさん(http://blue.ap.teacup.com/paletoutseul/)からTBを頂いた。
「朝日ニュースター」パックイン・ジャーナルでの田岡俊次氏の軍法会議についての説明(http://blue.ap.teacup.com/paletoutseul/2301.html)は、興味深いので、是非とも見て頂きたいものだ。軍人が軍人を裁くのだから、甘い判断しかなされないということなんだよね。一種の治外法権ということか。軍人の行き過ぎは大目に見るというわけですね。軍隊・軍人を特別扱いするとどういうことになるか、この国は過去に暗い経験を十分にしてきたのにね。
一応、「下級裁判所として」とされているから、高裁・最高裁まで行けば通常の裁判所で裁かれるのだが、圧倒的多数の事件が一審で決着することになるはずである。
しかも、「法律の定めるところにより」、どのような内容になるのか不明なのが不気味である。まさかと思うが、一般国民と軍隊との事件が軍事裁判所で裁かれる(一般国民が一定の犯罪については軍事裁判所で裁かれる)などということまで考えてはいないだろうな。
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「憲法9条が変えられたらどうなる」というテーマに対する回答をきちんと整理するのは、簡単なことではない。しかし、憲法改正手続法が成立し、憲法改正が現実問題となっている以上、避けて通れない議論である。
そして、この際に最も議論しておかなくてはならないのは、言うまでもなく、現在の政権政党である自民党が作成した「新憲法草案」であることに異論はないであろう。
改めて、自民党の新憲法草案の9条関連の条項を見てみると、次のとおりとなっている。
「自衛軍」という言葉をみると、改めて、「自衛隊」を「軍隊」に変えようとしていることが重く響く(思わず、ドキッとするのは私だけか)。
しかも、ここで注意したいのは、「国会の承認その他の統制に服する」との言葉が空しく響くほどに、「法律の定め」がちりばめられている点である。憲法は国民が権力者に発する命令であるが、法律は権力者が国民に発する命令であることを忘れてはならない。要は、「統制」するといいながら、軍隊の統制は、国民の手を離れ、権力者の手に委ねられる。
さらに、「国際社会の平和と安全を確保するために国際的に協調して行われる活動及び緊急事態における公の秩序を維持」するための活動が自衛軍の活動として憲法上明記されていることに否が応でも目が行く。「国際的に強調して行われる活動」や「緊急事態」が強調された時に、「公の秩序」を維持するために何が行われるのか。ここで秩序維持活動の対象とされるのは何か(誰か)。この点をじっくりと考え、議論しなければならないと思う。
しかも、この軍隊設置の関係では、新たに軍事裁判所を設置しようというのが、自民党の新憲法草案の中身である。
この条項を含めて、「9条が変えられたらどうなるのか」について、じっくりと考えてみたい。
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9条の会オフィシャルサイト(http://www.9-jo.jp/)で、「九条の会を記録する会(映像ドキュメント研究会)が記録した映像を編集してネット配信を始めました!」との記事をみました。
早速、映像ドキュメント研究会(http://survival.org/index.html)にアクセスし、既に、数点の映像(九条の会・全国集会など)がアップされているのを発見し、感動したりしてました。
マスコミは、9条の会の活動をほとんど報じません。たまに報じても、ベタ記事です。憲法改悪問題については、公正な報道がなされているとは、到底思えないというのが正直なところです。
もちろん、各紙、社説などでは、素晴らしい意見を出されています。時として感動します。
しかし、マスコミの役割は、事実をいかに丹念に拾い集めて報道するかという点にあるのではないでしょうか。先日、ある雑誌に憲法改悪についての意見を書かせて頂いたのですが、その際、ネタの一つとして、「憲法改正」をキーワードにある特定の新聞社(どちらかと言えば左寄りと言われることの多い新聞社)の記事を1ヶ月に限定して検索してみたのですが、97件がヒットし、約80件が政府・自民党・安倍に関する記事でした。もちろん、その新聞社が批判的に扱っている記事も相当数あるのですが、事実としては、政府等の動きばかりが記憶に残ることになってしまうことが分かりました。憲法改正反対の動きを伝える記事はわずか16件でした。
これではいけないと私は思いました。生の事実が公平に伝わっていないのです。
九条の会を記録する会がどういう意図でこの企画を立ち上げられたのかは分からないのですが、私は、今後の活動をものすごく期待してしまいます。これだけすごい勢いで広がっている9条の会の活動が、事実として伝わっていかないことの不条理をいつも嘆いていますから。
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「9条守ろう!ブロガーズ・リンク」というおもしろい提案をしているブログをみつけました(http://our.sakura.ne.jp/9/)。
私は、ブロガーと呼ばれるほどのものではありませんが(まだ、おそるおそるはじめたレベル)、賛同の意思を表示することぐらいはできます。
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パリ不戦条約(1928年)を引用したことがある。
http://3courage.cocolog-nifty.com/kenpo/2006/05/post_f19d.html
その時は、パリ不戦条約が日本国憲法9条1項に酷似しているという点を再確認するためだった。
改めて読んでみると、パリ不戦条約の第1条は、「締約国は、国際紛争解決のため、戦争に訴うることあらずとし、かつ、その相互関係において、国家の政策の手段としての戦争を放棄することをその各自の人民の名において厳粛に宣言す」(ひらがな表記に変更している)とし、締約国の「国際紛争解決のため」あるいは「国家の政策の手段として」の「戦争」を禁止している。
そして、(自衛のためを除く)戦争が違法なものとされたのは、このパリ不戦条約が最初だと説明される(岩波新書「改憲は必要か」157頁など)。
そのため、第2次世界大戦では、いずれの側も「自衛」を主張した。前には、日本がパリ不戦条約を反古にしたと書いたが、日本が「自衛」を主張したのは、このパリ不戦条約を意識していたからにほかならないし、少なくとも表向きは、パリ不戦条約が認める「自衛」戦争だったのだ。反古にしたというのは、その実質(侵略戦争)に着目して指摘したものである。
しかし、いずれにしても、結局、パリ不戦条約は、あの悲惨な第2次世界大戦を防ぐことができなかった。
第2次世界大戦後に作られた国連憲章(1945年6月調印)は、その反省の上に立ったものであったことは間違いない。
国連憲章前文は、「われら連合国の人民は、われらの一生のうちに二度まで言語に絶する悲哀を人類に与えた戦争の惨害から将来の世代を救い、基本的人権と人間の尊厳及び価値と男女及び大小各国の同権とに関する信念をあらためて確認し、・・・」で始まる。
そして、国連憲章は、「すべての加盟国は、その国際関係において、武力による威嚇又は武力の行使を、いかなる国の領土保全又は政治的独立に対するものも、また、国際連合の目的と両立しない他のいかなる方法によるものも慎まなければならない」とした(第2条4項)。戦争のみならず、「武力による威嚇又は武力の行使」さえも禁止したのである。
ただ、国連憲章は、2つの例外を認めている。
1は、第7章において認められた平和に対する脅威、平和の破壊又は侵略行為に対して安全保障理事会が決定して実施する「国際の平和及び安全の維持又は回復に必要な空軍、海軍または陸軍の行動」である。
2は、「国際連合加盟国に対して武力攻撃が発生した場合」の「安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要な措置をとるまでの間」の個別的又は集団的自衛の固有の権利に基づく自衛権の行使である(国連憲章第51条)。
しかし、この国連憲章調印後、とんでもないことが起きてしまった。1945年8月、広島、長崎に人類史上最悪の大量殺戮兵器である原爆が投下されたのである。
その威力は、世界の人々を恐怖に陥れた。核兵器が、「自衛」の名の下に使用されれば、人類は、その存続さえ危うくなるという最終兵器の性格を持つ。
2度と核兵器が使用されてはならない。それがたとえ自衛のためであっても。
その人類の願いの結晶こそが、日本国憲法(1946年11月3日公布)だと見るべきではないか。
日本国憲法には、我々の先達の瑞々しい人権思想が脈々と受け継がれていることも事実だが、日本国憲法制定当時の日本人を含めた世界の人々の思いがこめられている。
残念ながら、日本国憲法と同様の徹底した理想を掲げる憲法は、未だ日本以外には存在しない。しかし、だからこそ、唯一の被爆国である日本は、他国に向かって、世界に向かって、メッセージを発信し続けるべきではないのだろうか。
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ベトナム戦争の発端
恥ずかしながら、今ごろになって、戦後アメリカの起こした戦争について、勉強している。
ベトナム戦争について、改めて調べて見ると、アメリカの北ベトナムに対する本格的な攻撃が始まったのは、「トンキン湾事件」がきっかけであり、この際(1964年8月7日)、上下両院で事実上の宣戦布告となる「トンキン湾決議」が可決されている。
外務省のHPでも、「1964年8月に発生したトンキン湾事件は、米海軍艦艇と北ベトナム海軍魚雷艇の交戦事件で、ベトナム戦争の発端となりました」と書かれている(http://www.mofa.go.jp/mofaj/annai/honsho/shiryo/qa/sengo_04.html)。
トンキン湾事件がきっかけとなってベトナム戦争が本格化したことは、間違いない。
トンキン湾事件
トンキン湾事件とは、8月2日にトンキン湾をパトロールしていたアメリカの駆逐艦「マドックス」が、南ベトナム艦艇と間違えられて、北ベトナムの魚雷艇の攻撃を受け(反撃したマドックスの損傷は軽微)、4日にも再度攻撃されたことに対する報復として、アメリカ軍が北ベトナムの爆撃を行ったというものである。
1964年8月7日には、米上下両院で事実上の宣戦布告となる「トンキン湾決議」が可決され、ジョンソン大統領への戦時大権を承認、アメリカ軍のベトナムに対する本格的介入が始まった。アメリカ連邦議会は、SEATO(東南アジア共同防衛条約)に基づき、当事国を援助するため武力行使を含めた手段をとるように決議した。
アメリカ国防省は、集団的自衛権の行使であり、空爆は北ベトナムの侵略を阻止するために必要だと説明した。
トンキン湾事件は謀略
しかし、ニューヨーク・タイムズのニール・シーハン記者が、ペンタゴン・ペーパーズと呼ばれる機密文書(約7000ページ)を入手し、1971年6月13日、トンキン湾事件はアメリカによって仕組まれたものだったことをニューヨーク・タイムズ紙上で暴露した。
さらに、1995年には、ロバート・マクナマラ国防長官(当時)が、「北ベトナム軍による二度目の攻撃はなかった」ことを著書で暴露した。
しかも、トンキン湾にいた駆逐艦は、実は北ベトナムの領海を侵犯しており、しかも南ベトナムの軍艦とともに北の行動をスパイする秘密行動に従事していたとも言われている。
ベトナム戦争はWARではなかった?
そうすると、アメリカは、虚構の事実を創り出してまで、自らの「戦争」を「集団的自衛権」の行使と称して、突き進んでいったということになる。
WARではないとし、「自衛権の行使」を口実に、ベトナム戦争を本格的に開始したということである。
「アメリカは第2次大戦後WARはやっていない」というのは、もちろん痛烈な皮肉でもある。
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「アメリカは、第2次大戦後、WARはやってませんよ」「日本語で考えているだけでは分からないですよ」「自衛軍が侵略戦争をやっているわけですよ」
小森さんの講演会での忘れられない一連のフレーズである。
知っている人は知っているのだろうが、私は勉強不足。朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争、アフガニスタン侵攻、イラク戦争。アメリカは戦後多くの戦争を行っている。しかし、これらが全部WARではない(もちろん形式的な意味で)のか?
それなら、これらのWARではない戦争は、どのようにして起こったのだろうか。どうして、日本では一律に「戦争」と訳されているのだろうか。「自衛軍」が「侵略戦争」をやるという矛盾は、何故起きてしまったのだろう。
疑問はつきないわけで、このあたりは、是非とも研究をしたいと思う分野である。
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井上ひさしさんと保岡興治さんの論争
「通販生活」というカタログ販売誌の昨年夏号に「憲法9条大論争」という特集が掲載されていた。
井上ひさしさんと保岡興治さんの論争がその内容だ。
井上さんは、言うまでもなく、「9条の会」の9人のお1人。保岡さんは、自民党憲法調査会会長。
まさにがっぷり四つの論争。
揺るぎない護憲派と揺るぎない改憲派
水島朝穂さんの言葉を借りるなら、揺るぎない護憲派と揺るぎない改憲派との論争。平行線に終わるしかない運命か。
事実、お二人の論議は、平行線のままで終わった。
しかし、興味深い発言がいくつかあったので、メモしておこうと思う。
押しつけ憲法論はもはや過去の遺物?
井上さんは、日本国憲法制定経過をかなり詳しく説明し、保岡さんの押しつけ論を批判した。
そうしたところ、保岡さんは、「いまは単にマッカーサー憲法だったから改正が必要だというふうには考えていません」と応じ、井上さんの示した制定経過について、「与野党共通の認識として共有されていると承知しております」と結論づけた。
保岡さんの発言が本音かどうかは分からない。自民党の中には、依然として、押しつけ憲法論を唱える人が存在する。
しかし、最近の憲法改正論自体がアメリカの長年にわたる押しつけであるという認識が拡がる中、自民党が、単純な押しつけ憲法論をとれなくなってきていることだけは確かなようだ。
「日本固有の良き伝統や文化」などが憲法から排除された?
保岡さんは、単純な押しつけ憲法論はとらないと言いつつ、次のように発言する。
・・・きりがないので、一旦中止。
感想=余りにも抽象的で空疎な言葉の羅列
残念ながら、余りにも抽象的で空疎な言葉の羅列だという感想を持ってしまった。
水島さんや小森さんの話を聞いた時、言葉の一つ一つが膨大な事実の裏付けを持っていること、1時間半という時間的制約がある故に、言葉に膨大な事実を込めて話すしかないんだということを感じ取った。
しかし、保岡さんの言葉からは、そういうことが感じ取れない。
そもそも、日本国固有の良き伝統や文化が憲法から排除されたなんてことは、元裁判官の保岡さんに言って欲しくない。「憲法は国家権力の行使を制約する規範」であるという基本を深く理解するならば、伝統や文化を憲法に書き込むという発想に結びつかないはずである。
それとも、「憲法は国家権力の行使を制約する規範」であるという近代憲法の原則自体を否定しようと考えるのだろうか。それならそうと、はっきりと主張されるべきなのだが、そこまで明確には言っていない。
保岡さんは、「天皇制だけは・・・残しましたが、あとはきれいに入れなかった」と言うのだから、日本の伝統ということでイメージされるのは、明治憲法時代の日本であるが、まさかそこまでは言わないんだろうと思う。念のために、保岡さんのホームページを見てみたが、やっぱり分からない。
「『よろず神』を大切にしながら、世界の文化を取り入れる多元的文化主義の豊かな精神文化」と言われても、これではさっぱり分からない。何を指すのかをもっと具体的に説明されるべきだろう。
ただ、保岡さんのホームページを拝見すると、国民の義務を強調しているから(「権利・自由と表裏一体をなす義務・責任や国の責務についても、共生社会の実現に向けての公と私の役割分担という観点から、新憲法にしっかりと位置づけるべきである。」)、そういった条項を入れ込むことによって、国家権力に対する命令の本質を持つ憲法の改変(国民が守るべき規範の方向)を考えていることだけは間違いないようだ。
憲法に道徳を持ち込むとしたら
「わが国の伝統である礼節を重んじ、『和』を大切にし、命を慈しみ、平和を愛し、自然のなかに豊かな生活文化を築き自然環境を大切にしてきた日本の国民性」という言葉は、倫理観・道徳観の問題であろう。
これを憲法に持ち込み、国民が守るべき規範・秩序と位置づけられれば、国家に対する規制という憲法の性格が大きく歪められることになる。
(なお、井上、保岡論争は、日本の軍備をもう一つの柱として鋭く対立した。その点は後日)
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自民党の憲法草案についての説明だと、自衛隊を自衛「軍」にはするが、でも、憲法第9条1項の平和主義を残すから日本が軍事国家に逆戻りする心配はないということらしい。自民党の憲法草案の該当箇所は、次のとおり。本当だろうか。眉唾もんだ。
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憲法9条改悪はアメリカの要請
アメリカが、日本に対して、憲法9条を「改正」して軍隊を保持できるようにしろと要請していることは、既に公知の事実でみんな知っていることだろう。
しかし、アメリカは、憲法9条がある現在でもその軍隊を日本に展開して日本を軍事基地化しているのに、何故、いまさら、危険な日本の軍備化を求めるのか。
それに対する回答が、小森さんの講演会で明確に語られていたので、(ごく一部ですが)ご紹介しておきたい。目から鱗のわかりやすい議論である。
(なお、下記の文は、私のメモを起こしたものなので、間違いがあった場合、全て私の責任である)
なお、アメリカが何故今日本に憲法9条改悪を迫るのか、これは、極めて大事な点なので、小森さんにばかり頼っておらず、今後自分なりに考えてみたい。
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