新聞記事より

2007年8月25日 (土)

新防人考(中日新聞・東京新聞)

 先日一部を記しておいた中日新聞(東京新聞)の連載「新防人考」は、意欲的な記事を書いている。
 本当は全文掲載してしまいたいところだけど、そうもいかない。
 今のところ、次のアドレスのページで、全部を見れるようになっている。

http://www.tokyo-np.co.jp/feature/sakimori/

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2006年9月10日 (日)

イラク戦争に大義なし

 今さらではあるが、米上院情報特別委員会が、8日、イラク戦争をめぐるブッシュ米政権の情報活動に関する報告書を公表し、同政権が指摘した旧フセイン政権と国際テロ組織アルカイダの結び付きを完全に否定したとのことである。http://www.chunichi.co.jp/flash/2006090901000776.html

 ザルカウィ容疑者(6月に殺害)と旧政権とのつながりについても、協力関係はなかったと結論付けたともある。

 報告書は、さらに、大量破壊兵器の存在についてもあらためて否定したとのことだから(これは紙面)、イラク戦争には全く大義がなかったことが、いよいよ明らかになった。

 こんなアメリカブッシュ政権のいいなりに憲法9条を改悪してつるみたい(集団自衛権の行使)という改憲案を認めていいのか。

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2006年8月 6日 (日)

8月6日中日新聞(東京新聞)の社説

 8月6日の中日新聞(東京新聞)の社説は、「伝えたいものがある」(原爆忌に考える)。

http://www.chunichi.co.jp/sha/index.shtml

 心に染み入るいい話を書いてくれているが、特に、「原爆症と闘う少女サダコに日本中から折り鶴が届いたように、希望は希望へ連鎖します。一方、核兵器の力の基も核分裂の限りない連鎖のエネルギー、その存在と拡散の原動力は、不信と憎悪、そして倨傲(きょごう)の連鎖です。子どもたちを果てしない飢餓や惨禍に巻き込んでエスカレートする朝鮮半島や中東情勢も、背景に煮えたぎるのは「核保有願望国」にとりついた不信と憎悪の連関です。憎悪を止める希望の種子は、ヒロシマとナガサキにしかありません。被爆者の高齢化による記憶の風化が心配されています。受け継ぐことも伝えることもたやすくはありません。希望を語るためにはまず、原爆や戦争の想像を絶する悲惨と向き合い、切り結ばねばならぬから。」との一節は、本当にそうだと思った。

 戦争の悲惨さと向き合った時、こんなことは2度と起こしてはならないと誰もが思う。
 そのために自分でもできることを頑張らなくてもできることを続けて行こう。

 なお、前記社説は、「しかし、アオギリの種が飛ぶように、新しい“語り部”たちは育っています」と続き、希望の連鎖への期待を抱かせてくれる。

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2006年7月28日 (金)

イラク陸自実弾装てんの記事を読んで

 中日新聞のウェブサイト(Cunichi Web Press)にこのような記事が掲載されているのをみつけました。

http://www.chunichi.co.jp/feature/iraq/060719T1253001.shtml

イラク陸自実弾装てん

昨年6月 移動中の襲撃に対応

 昨年6月、イラクに派遣されていた陸上自衛隊の車列近くで爆発があり高機動車が破損した事件で、爆発直後、車列の隊員が銃に実弾を装てんし戦闘態勢を整えていたことが分かった。発砲には至らなかったが“戦地派遣”の危険な現実を示した。14年に及ぶ自衛隊海外派遣で実弾装てんが判明したのは初めて。

 この事件は昨年6月23日、軽装甲機動車で警護された高機動車2台がサマワ市内を通過中に道路右側の遠隔操作爆弾が破裂。高機動車1両のフロントガラスにひびが入り、ドアが破損した。

 複数の防衛庁関係者によると、この襲撃直後に軽装甲機動車の警備隊員らが車載の5・56ミリ機関銃を操作して弾倉から実弾を銃内に送り込み、発射態勢を整えた。

 移動中だった隊員約20人は武器を所持しており、何人が実弾を装てんしたのか判明していないが、犯人が銃などで襲撃していれば、撃ち合いになった可能性がある。

 隊員は宿営地から外出する場合、小銃や拳銃を携行し、車両には機関銃を搭載した。いずれも実弾の入った弾倉を差し込んだ「半装てん」と呼ばれる状態で、このままでは発射できない。発射するには銃を操作して実弾を薬室に送り込む「装てん」の動作が必要になる。

 隊員はイラク特措法によって正当防衛、緊急避難であれば、発砲が認められる。しかし、実弾装てんは武器使用に直結するため、防衛庁は武器使用基準を定め、「緊急事態を除き、指揮官の命令がなければ行ってはならない」と制限していた。

 この事件では指揮官に当たる群長は同行しておらず、関係者は「犯人は車列を待ち伏せ、遠隔操作で爆弾を破裂させている。危険が切迫しており、指揮官の命令がいらない緊急事態に当たる」という。報告を受けた防衛庁は、隊員らの行動を「訓練通りの対応」として問題にしなかった。

                               (2006年7月19日)

 一歩間違えば、自衛隊員が武器を使用せざるを得なかった、戦闘行為に発展したかも知れなかったということなんですね。

 「非戦闘地域」という政府の説明のまやかしには改めて腹立たしい思いです。
 このような自衛隊の置かれた状況がほとんど伝わって来ないのも極めて奇異な感じがします。この記事から明らかなとおり、昨年6月の出来事が今頃になって明らかになったということなのですから。
 そうすると、このような状況が一度だけだったとは、到底思えません。

 現地に行かれた自衛隊員の精神的な重圧はいかばかりだったでしょうか。

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