教育基本法

2006年12月17日 (日)

教育基本法改悪の日=2006年12月15日

 2006年12月15日

 この日を銘記しておこうと思う。

 国家権力が、国民に対してその本性をあらわに支配を強めようとした証として。

 そして、多くの人たちが、国民の権利を守るために決意を新たにした日として。

 教育基本法の問題は、直接は国家による支配介入に対して教育をいかに守るかという問題である(第16条)。しかし、今回の改悪は、それにとどまらない。
 (教育の目標)を定めた第2条、(家庭教育)を定めた第10条、(学校、家庭および地域住民などの相互の連携協力)を定めた第13条を合わせて見ると、国家が教育の名の下に、一定の価値観を国民に押し付け徹底しようとしていることは、余りに明白である。

(教育の目標)
第2条 教育は、その目的を実現するため、学問の自由を尊重しつつ、次に掲げる目標を達成するよう行われるものとする。
1 幅広い知識と教養を身に付け、真理を求める態度を養い、豊かな情操と道徳心を培うとともに、健やかな身体を養うこと。
2 個人の価値を尊重して、その能力を伸ばし、創造性を培い、自主及び自律の精神を養うとともに、職業及び生活との関連を重視し、勤労を重んずる態度を養うこと。
3 正義と責任、男女の平等、自他の敬愛と協力を重んずるとともに、公共の精神に基づき、主体的に社会の形成に参画し、その発展に寄与する態度を養うこと。
4 生命を尊び、自然を大切にし、環境の保全に寄与する態度を養うこと。
5 伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うこと。

(家庭教育)
第10条 父母その他の保護者は、子の教育について第一義的責任を有するものであって、生活のために必要な習慣を身に付けさせるとともに、自立心を育成し、心身の調和のとれた発達を図るよう努めるものとする。
2 国及び地方公共団体は、家庭教育の自主性を尊重しつつ、保護者に対する学習の機会及び情報の提供その他の家庭教育を支援するために必要な施策を講ずるよう努めなければならない。

(学校、家庭および地域住民などの相互の連携協力)
第13条 学校、家庭及び地域住民その他の関係者は、教育におけるそれぞれの役割と責任を自覚するとともに、相互の連携及び協力に努めるものとする。

 

 いよいよ、権力に憲法を守らせるために、日本国憲法の真の意義や役割を広める運動が重要になってくるのだと思う。

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2006年12月12日 (火)

日弁連院内集会

 教育基本法の改悪をとめよう!全国連絡会のブログ「あんころブログ」で、日弁連院内集会の模様を詳しく紹介してくださっています。
 ここです→http://kyokiren.seesaa.net/article/29453383.html
 写真も使って、リアルに感動が伝わって来ます(知っている顔が見えるせいもありますが)。
 本当に最後まであきらめずにできることを可能な限り続けたいものだと改めて思います。

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2006年12月 7日 (木)

教育基本法改悪案のもう一つの問題点

 教育基本法の山場が来週にずれ込みそうだとの情報が入って来ている。

 まだ遅くはないので、自分でもできることをやろうと思う。

 ところで、教育基本法改悪のもう一つの危険性について、少し整理しておきたいと思う。

 それは、今度の教育基本法改悪案が、家庭や地域をも巻き込み、義務を課そうとしている点である。

 (家庭教育)を定めた第10条を見てみる。

(1)父母その他の保護者は、子の教育について第一義的責任を有するものであって、生活のために必要な習慣を身に付けさせるとともに、自立心を育成し、心身の調和のとれた発達を図るよう努めるものとすること。
(2)国および地方公共団体は、家庭教育の自主性を尊重しつつ、保護者に対する学習の機会および情報の提供その他家庭教育を支援するために必要な施策を講ずるよう努めなければならないこと。

 (学校、家庭および地域住民などの相互の連携協力)を定めた第13条はこうなっている。

 学校、家庭および地域住民その他の関係者は、教育におけるそれぞれの役割と責任を自覚するとともに、相互の連携および協力に努めるものとすること。

 第2条で一定の価値観を国民に強制し、第16条で国家による教育への不当な支配介入から教育を守るという準憲法としての役割を果たしてきた教育基本法を普通の法律にしてしまうだけでなく、一気に、教育の名の下に、一定の価値観を広く国民に押しつけることが可能な代物に作り変えようとしているということになる。

 「みどりの一期一会」さんのブログの記事(http://blog.goo.ne.jp/midorinet002/e/2e0db4d667790321529c0157ea0a49f9)で、「教育基本法「改正」に関する緊急声明」を拝見したが、性差別の撤廃という観点からみても、大きな問題があることがよく分かる。

 教育基本法改悪案は、検討すればするほど問題だらけの法案であることがよく分かる。

 どうしても反対せざるを得ない。

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2006年12月 2日 (土)

教育基本法=準憲法の変質をねらう改悪案

 以前(5月28日)にも、教育基本法改悪案の問題を考えてみたことがある(http://3courage.cocolog-nifty.com/kenpo/2006/05/post_ea29.html)。
 そのときは、改悪案2条に絞って問題を整理してみた。

 国会審議を経て、問題は何も解決されていない。むしろ、問題点がいよいよ明らかになってきた。
 他方、改正が必要な理由は何も明らかになっていない。

 それなのに、時間さえ費やせばよいとして、数の力だけで改悪案を成立させようとする安倍内閣。何を目指そうというのだろう。

 教育基本法は、「準憲法」と言われる。法律でありながら権力による教育への不当な支配から教育を守る役割を果たすという意味では憲法と同等の機能を有しているからにほかならない。
 東京都の日の丸・君が代裁判における東京地裁判決が、このことを実感させてくれたことは、記憶に新しい。判決は、「本件通達及びこれに関する被告都教委の一連の指導等は,教育基本法10条に反し,憲法19条の思想・良心の自由に対し,公共の福祉の観点から許容された制約の範囲を超えているというべきであ」るとしたのである。

 ところが、教育基本法改悪案は、行政の支配介入を許し(第10条を改悪する第16条)、国民の自由な領域である内心の自由に関する事柄を教育の目標(第2条)という名目で一定の方向に押しつけようとしている。

 結局、これらによって、教育基本法の準憲法としての機能を喪失させ、普通の法律にしてしまう。そして、法の名の下に教育への支配介入をこれまで以上に強く進めようとしている。この点は、教育が「この法律及び他の法律の定めるところにより行われる」とする第16条が端的に表現している。

 憲法の問題としてとらえると、より一層、日本国憲法を広める活動(守る活動ではない)が重要になってくるのではないかと思う。

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2006年5月28日 (日)

教育基本法「改正」案の危険

教育の重大さ

 教育は、100年の大計だと思う。
 教育勅語と軍国主義教育によって過去の日本がどのような道をたどったのかを考えれば、ゆるがせにできない重要課題である。

権力による介入があってはならない

 そして、最も重要なのは、教育が国家権力から自由であるという点ではないか。
 人が人として大事にされ、その時々の国家権力によって都合がいいかどうかで評価されてはならない。とすれば、教育への国家権力の介入は、極力避けるべきであるから、当然である。
 ちなみに、国家が国民を教育するなどということは、憲法違反の行為である。国家は、教育を受ける権利を有する国民に対し、その権利を充たすための義務を負うだけである。
 現行の教育基本法は、次のように定めて、この点を明確にしている。

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