憲法改正

2007年7月14日 (土)

「自由民主党 新憲法草案のポイント」

 自民党が、
        「自由民主党 新憲法草案のポイント」
というものを発行しているそうだ。

 実物があれば、是非見てみたいと思うのだが、どうも外部に公表していないらしい。

 あちこち探してみたけど、これを記事にしているペーパーは、しんぶん赤旗(http://www.jcp.or.jp/akahata/aik07/2007-07-06/2007070601_01_0.html)しか見つけられなかった。同紙は、次のように報道している。

自民が改憲パンフ
海外派兵のため「自衛軍」化

 自民党が参院選で本格的な憲法論議をするよう改憲問題の解説パンフレット『自由民主党 新憲法草案のポイント』を発行していたことが五日分かりました。その中で改憲手続き法による調査専念期間(三年間)の解除直後に「憲法改正の発議」ができる自衛隊を「自衛軍」とするのは海外派兵のため、などの本音を盛り込んでいます。

 問題のパンフレットは中山太郎・同党憲法審議会会長が主導して作製したものです。三十三ページにわたり二十三の項目について問答形式で解説。巻頭で中山氏は「我が党のすべての候補者のみなさんに正確にご理解いただくために、取り急ぎ、作成した」とその意図を述べています。

 また冒頭では、今回参院選での選出議員の六年の任期内に改憲発議が可能になるとして、選挙中に本格的な憲法論議をかわす必要を強調しています。

 改憲手続き法では、改憲のための国民投票制度が施行されるのは三年間の「調査専念期間」(いわゆる凍結期間)を経た二〇一〇年五月以後。仮に改憲日程が具体的に進むとしても改憲原案の審議は、その後から始まる、というのが一般的な解釈です。

 ところがパンフレットでは「3年間は、漠然とした憲法論議しかできない期間などでは全くなくて…『改憲の是非とその具体的な項目の抽出』を行う調査期間であり、この『調査専念期間』の解除後は、直ちに憲法改正原案の審査・起草、そして衆参両院の3分の2の議決を経ての『憲法改正の発議』に直結することとなるものなのです」と明記。凍結期間明け即改憲発議へ直結だと宣言しています。

 現行九条の二項を削除し、自衛隊を「自衛軍」と変えた点については「自衛隊は、海外に出ると、世界の常識に照らし合わせて、軍として扱われます」「自衛隊が国際社会の要請に応じて世界でさまざまな活動に従事するようになった現在、この(自衛軍でないこととの)矛盾が、大きな支障となっています」と記述。自衛隊の海外派兵先にありきの九条改悪というねらいが明らかにされています。

 安倍総理は、元々「憲法改正」を最大の政治課題に挙げてきた。
 最近余り言わないのは、相次ぐ閣僚の不祥事、年金問題で手一杯で、守勢に回っているだけなんだろう。けれど、お膝元の自民党では、怠りなく、憲法改正に向けて、やるべきことをやっている。

 安倍内閣が、「憲法を改正して、軍隊を持って、海外派兵をしよう」内閣であること、そのための準備を着々と進めていることを忘れないようにしないと。

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2007年5月24日 (木)

欠陥だらけの国民投票法

 いわゆる国民投票法は、成立してしまったけれど、「参議院日本国憲法に関する調査特別委員会」で附けられた附帯決議は、異様である。
 以下は、その全文だが、一つ一つをじっくりと眺めてみる。
 これだけの問題があるのであれば、成立させるべきではないと考えるのが素直な感想だと思う。それが良識というものではないか。
 どんな欠陥法でも成立させることが目的なのだとし、多数の力でこれを強行するというのが今の国会であり政府であるならば、そんな国会や政府はいらない。

一、国民投票の対象・範囲については、憲法審査会において、その意義及び必要性の有無等について十分な検討を加え、適切な措置を講じるように努めること。
一、成年年齢に関する公職選挙法、民法等の関連法令については、十分に国民の意見を反映させて検討を加えるとともに、本法施行までに必要な法制上の措置を完了するように努めること。
一、憲法改正原案の発議に当たり、内容に関する関連性の判断は、その判断基準を明らかにするとともに、外部有識者の意見も踏まえ、適切かつ慎重に行うこと。
一、国民投票の期日に関する議決について両院の議決の不一致が生じた場合の調整について必要な措置を講じること。
一、国会による発議の公示と中央選挙管理会による投票期日の告示は、同日の官報により実施できるよう努めること。
一、低投票率により憲法改正の正当性に疑義が生じないよう、憲法審査会において本法施行までに最低投票率制度の意義・是非について検討を加えること。
一、在外投票については、投票の機会が十分に保障されるよう、万全の措置を講じること。
一、国民投票広報協議会の運営に際しては、要旨の作成、賛成意見、反対意見の集約に当たり、外部有識者の知見等を活用し、客観性、正確性、中立性、公正性が確保されるように十分に留意すること。
一、国民投票公報は、発議後可能な限り早期に投票権者の元に確実に届くように配慮するとともに、国民の情報入手手段が多様化されている実態にかんがみ、公式サイトを設置するなど周知手段を工夫すること。
一、国民投票の結果告示においては、棄権の意思が明確に表示されるよう、白票の数も明示するものとすること。
一、公務員等及び教育者の地位利用による国民投票運動の規制については、意見表明の自由、学問の自由、教育の自由等を侵害することとならないよう特に慎重な運用を図るとともに、禁止される行為と許容される行為を明確化するなど、その基準と表現を検討すること。
一、罰則について、構成要件の明確化を図るなどの観点から検討を加え、必要な法制上の措置も含めて検討すること。
一、テレビ・ラジオの有料広告規制については、公平性を確保するためのメディア関係者の自主的な努力を尊重するとともに、本法施行までに必要な検討を加えること。
一、罰則の適用に当たっては、公職選挙運動の規制との峻別に留意するとともに、国民の憲法改正に関する意見表明・運動等が萎縮し制約されることのないよう慎重に運用すること。
一、憲法審査会においては、いわゆる凍結期間である三年間は、憲法調査会報告書で指摘された課題等について十分な調査を行うこと。
一、憲法審査会における審査手続及び運営については、憲法改正原案の重要性にかんがみ、定足数や議決要件等を明定するとともに、その審議に当たっては、少数会派にも十分配慮すること。
一、憲法改正の重要性にかんがみ、憲法審査会においては、国民への情報提供に努め、また、国民の意見を反映するよう、公聴会の実施、請願審査の充実等に努めること。
一、合同審査会の開催に当たっては、衆参各院の独立性、自主性にかんがみ、各院の意思を十分尊重すること。
右決議する。

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2007年5月18日 (金)

「改憲」の意味

 少し前の5月3日、私は、福井県内の九条の会(27団体)の共催で開催された「憲法九条を考える市民のつどい」に参加した。メインの講演は、「世界」(岩波書店)の編集長岡本厚氏の「戦争をしない国に向けて、いま出来ること」。Dscn1155_1

 テーマを特定せずに、改憲の是非を問うことの無意味さの指摘は、目からウロコだった。言われてみれば、確かにそうだ。改憲と言ってもいろいろある。例えば、環境権を憲法に書き込むべきだとか、プライバシー権だって、知る権利だって、もっと明確に書いてもいいのではないかとか、前向きにとらえた改憲論だってたくさんある。そういった区別をせずに全部一緒くたにして、改憲派が過半数を超えたとか言っても、何の意味もない。

 そこで思い出すのは、4月29日の北海道新聞の記事だ。「『憲法に関する道民世論調査』を北海道新聞情報研究所に委託して実施した」とあったが、おもしろかったのは、9条1項について尋ねたアンケート。
 「自衛のための戦争であればよいと明記」という意見が38.4%あったものの、他方で、「自衛戦争も含めて、すべての戦争放棄を明記」という意見が39.5%あって、こちらの方が多かった。この自衛戦争も違憲であることを明記すべきだという意見も、憲法を変えるという意味では改憲論にカウントされてしまうのだろう。

 そういうことを頭に置いて、改めて新聞やテレビを見ていると、論議があまりに雑ぱくだという印象を強く受ける。コメンテーターや解説者の話も、そういったことを意識せずに(あるいは意図的にごまかして)、改憲ムードを盛り上げようとしているように見える。

 騙されないように気をつけねば。

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2007年5月 3日 (木)

国民投票法案の危険

 現在参議院で審議されている「国民投票法案」が、真に国民の意思を問うものになっていないことについては、多くの方々が指摘されているとおりだと思う。

 特に、最低投票率の定めがないことは、とても恐ろしいことだ。最近の選挙における投票率を見ていると、40~50%の投票率、すなわち国民の20~25%の賛成で憲法改正が承認されてしまうという事態が予想されてしまう。確かに、投票に行かない国民が悪いと言ってしまえば、それまでだが、そんなことで片付けられてはいけない大問題を決する重要な投票である。制度として国民の意思が十分に反映されるように設計すべきだろう。それが、制度を策定する立場にある人間の当然の義務である。

 しかも、憲法改正の発議から国民投票までの期間を60日以後180日以内としているから、最短60日で国民投票が行われる可能性がある。こんな短期間で国の将来を左右する大問題を判断できるのか。国民が十分に理解する前に国民投票を実施しておいて、投票率が低くても、それは投票をしない者が悪いんだでは、余りにもずさんな法案である。

 憲法の改正についての国民投票法なのだから、憲法の精神に基づいて作成されるべきだと思うけど、今の国民投票法案は、憲法の精神とは大きくかけ離れたとんでもないものだと思う。

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2006年11月 6日 (月)

押しつけ憲法論・自主憲法制定論

 今の日本国憲法は、アメリカによる押しつけ憲法だから、自主憲法を制定するんだという押しつけ憲法論あるいは自主憲法制定論は、勇ましく、一見わかりやすい。

 しかし、誰が押しつけられたのだろう、誰が自主憲法を制定するのだろうと考えて見ると、途端にあやしげに思えて来る。

 まず、誰が押しつけられたんだろうという疑問。
 憲法は権力者に対する命令であるという原則に立ち返って考えてみる。
 そうすると、押しつけられたのは、私たち国民でないことは確かである。
 例えば、憲法第19条は、「思想及び良心の自由は、これを侵してはならない」とする。日本国民が「思想及び良心の自由」を押しつけられたとは言わんだろう。
 「すべて国民は、個人として尊重される」とは、憲法第13条。
 「何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない。又、犯罪に因る処罰の場合を除いては、その意に反する苦役に服させられない」と規定する第18条。等々。
 どの場合も、私たち日本国民は、権力者の圧政から守られたのである。
 要するに、押しつけられたのは、日本の権力者たちである。
 そして、押しつけ憲法論は、決して国民の間から、その要求に従って出てきたものではない。ここに、この議論の、まやかしが存在する。押しつけられた権力者たちが、本当は押しつけられてなんかいない国民に向かって、この憲法は押しつけられたものだから、自分たちの憲法を作ろうよとささやきかけていると理解できる。騙されてはいけない。

 誰が自主憲法を制定するのだろうと考えてみても、同じである。
 私ら国民は、今の日本国憲法によって守られていて、決して不自由だというわけではない。それどころか、明治憲法時代に比べれば、はるかに多くの自由を保障され、安心して生活ができている。問題があるとすれば、日本国憲法の精神が十分に生かされていないためである。
 なのに、「自主憲法制定」とは?
 なんのことはない。自主憲法を制定しようと言っているのは、権力の側に座っている人々なのである。中身を見れば、なおさらわかりやすい。権力の側が自分たちに都合のよい憲法を制定しようとしているだけのこと。
 やはり、騙されてはいけない。

(追伸)
 このブログにコメントをくださったやっとこさんのブログ(http://maru771.blog54.fc2.com/blog-entry-80.html)は、同じテーマをとても分かりやすく書いている。必見!

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2006年7月 3日 (月)

日本国憲法の系譜

日本国憲法の源流-植木枝盛の「東洋大日本国国憲按」

 「思想というものは一旦生まれ落ちたら絶対に死なない。日の目を見なくったって、私たちと一緒に歴史を走って来てくれる。地下水、伏流水のように。この地下水は、チャンスだとみれば、いつでも地表に湧き出てくれます。」 
 これは、先日の講演会での池田香代子さんの言葉です。
 ここで池田香代子さんがおっしゃった「思想」は、明治時代の自由民権運動の理論的指導者であった植木枝盛が起草した「東洋大日本国国憲按」に示された人権思想のことを指しています。

今見ても新鮮な植木枝盛の思想

 「東洋大日本国国憲按」は、220条にも及ぶ詳細なもので、今から見てもその新鮮さは驚くべきものがあります。
 以下は、「第4編 日本国民及日本人民ノ自由権利」(第40~74条)の一部です。集会・結社の自由まできちんと記述されています(全文は、「戦中生まれの女たちによる「九条の会」」(http://home.cilas.net/yunami/9jo.html)が掲載されています)。

第48条 日本人民ハ拷問ヲ加ヘラル丶コトナシ
第49条 日本人民ハ思想ノ自由ヲ有ス
第50条 日本人民ハ如何ナル宗教ヲ信スルモ自由ナリ
第51条 日本人民ハ言語ヲ述フルノ自由権ヲ有ス
第52条 日本人民ハ議論ヲ演フルノ自由権ヲ有ス
第53条 日本人民ハ言語ヲ筆記シ板行シテ之ヲ世ニ公ケニスルノ権ヲ有ス
第54条 日本人民ハ自由ニ集会スルノ権ヲ有ス
第55条 日本人民ハ自由ニ結社スルノ権ヲ有ス

 植木枝盛(1857-1892)の時代は、言うまでもなく、明治憲法(1889年2月11日公布、1890年11月29日施行)が制定される時代。あの時代にここまで徹底した憲法案を起草できたことには、ただただ驚き感嘆するしかありません。しかし、残念ながら、徹底した人権思想によって起草されたこの憲法は、日の目を見ることがありませんでした。

憲法研究会の「憲法草案要綱」、そして日本国憲法に受け継がれた植木の思想

 しかし、植木の思想は、世紀を超えてよみがえりました。日本国憲法の制定の際にGHQが最も参考にした憲法研究会の「憲法草案要綱」は、植木枝盛研究の第一人者であった鈴木安蔵らによって起草されました。植木の思想は、鈴木安蔵を通じ、日本国憲法の中に引き継がれたのです。
 日本国憲法には、我々の先達の瑞々しい人権思想が脈々と受け継がれているという事実の前に感動を覚えます。

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2006年6月27日 (火)

日本国憲法=つぎはぎ憲法論は真っ赤な嘘

 日本国憲法については、押し付け憲法論以外に、「つぎはぎ憲法論」がある。
 あちこちの憲法のつぎはぎで日本の憲法らしくないから日本にふさわしい憲法を作ろうというものである。
 しかし、冷静に考えてみると、この論理は、極めておかしい。
 「つぎはぎ」という言葉が悪いし、正確ではない。

 ここで、池田さんの講演での言葉を若干借用して、池田さん風に表現してみます。
 もし、あなたが、憲法案を作成する住民の代表に選ばれたらどうしますか。選ばれた以上世界一の憲法を作ろうと燃えているあなたはどうしますか。きっと、世界の憲法がどうなっているか調べようとするでしょう。世界一の憲法を作ろうというのですから、まず世界の憲法を知らなければなりません。そして、世界の憲法を調べているうちに、いいところがあれば、自分の憲法案にも使おうとするでしょう。それぞれのいいところを取り入れて憲法案ができあがっていきます。その中には、フランスやドイツの憲法に混じって、日本の明治時代の思想家・植木枝盛や日本国憲法の元になった憲法研究会の憲法草案が含まれているかも知れません。そうやって、自然と「人類共通の理念」に則った憲法ができあがります。
 これを「つぎはぎ」と言うのは、事柄の表面だけを捉えた議論ですし、どこの国の憲法もこうやってできあがってきたことからすれば、「つぎはぎ論」は、真っ赤なウソということになります。

 一見尤もらしい言葉に騙されないようにしよう。

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2006年6月19日 (月)

アメリカによる押しつけ憲法「改正」

アメリカによる押しつけ憲法論はいずこ?

 自民党などは、日本国憲法がアメリカによる押し付け憲法だから自主憲法を制定するんだということを最近余り言わなくなった。
 何故だろう?
 それは、自民党などが提案しようとしている憲法9条2項の改悪が、アメリカによる押しつけ憲法改悪であるという認識(事実)が徐々に広まり、矛盾した主張はさすがに言いにくくなったと見るのが正しいところだろう。

警察予備隊は何故できた

 そもそも遡れば、自衛隊の前身である「警察予備隊」ができたことからして、日本にあるアメリカ軍基地を守るためだった訳だ。
 この点は、多くの文献が指摘していることなので、いまさらだが、今読んでいる「憲法論文選」(岩波書店)の丸山眞男氏の「憲法第九条をめぐる若干の考察」では、「昭和25年6月の朝鮮戦争勃発直後に、ご承知のように『警察予備隊令』が総司令部の覚え書によって、いわゆるポツダム命令として出た訳であります」と指摘されている(324頁)。

「アーミテージ報告」(2000年10月11日)

 最近の顕著な例がある。
 通常「アーミテージ報告」と呼ばれる「米国防大学国家戦略研究所」(INSS)の特別報告書「米国と日本:成熟したパートナーシップに向けて」は、内政干渉のオンパレードのような文章で、アメリカの本音をかいま見ることができて興味深い。特に、下記の記述は、かなり露骨である。

 日本が集団的自衛権を禁止していることは、同盟間の協力にとって制約となっている。この禁止事項を取り払うことで、より密接で、より効果的な安全保障協力が可能になろう。これは日本国民のみが下せる決定である。

 およそ、独立国に対するメッセージではない。アメリカにとって日本は未だに植民地なのかと思わせる内容である。最後の一文など、当然のことをわざわざ付け加える意味深長な言い回しがいやらしい。
 こういう干渉に対して毅然とした対応をとることができずして独立国と言えるのだろうか。

「九条が日米同盟関係の妨げ」(アーミテージ米国務副長官発言)

 それほど古い話ではないので、覚えている人もいるだろう。 2004年7月21日、国務省でアーミテージ米国務副長官と会談した中川秀直自民党国対委員長が、曝露してしまった。
 アーミテージ米国務副長官が、中川氏に対し、九条が日米同盟関係の妨げになっている」と述べたという。
 当時、新聞に大きく報道された。
 しかも、アーミテージ米国務副長官は、「米国は日本の安保理常任理事国入りを強く支持しているが、常任理事国は国際的な組織の中で軍事力を展開しなければならない役割がある。それができないと常任理事国入りは難しい」とまで踏み込んだというのだから、驚くべきものがあった。
 この発言は、内政干渉であるとの国際世論の批判を受け、その後撤回はされたものの、忘れてはならない象徴的な出来事であった。

「憲法9条は検討されるべきだろう」(パウエル米国務長官発言)

 しかも、その舌の根も乾かないうちに、2004年8月12日、パウエル米国務長官が、日本の記者団に対して、

 米国は日本が安保理の常任理事国になるために支援してきた。日本には憲法9条についてとても強い思い入れがある。日本にとっての重要さと9条がある理由はよく理解している。しかし、同時に日本が国際社会で十分な役割を演じ、安保理でフルに活躍する一員となり、それに伴う義務を担うというのであれば、憲法9条は(現状のままで問題がないかどうか)検討されるべきだろう。

などと述べたというのだから、はっきり言って日本はなめられている。

憲法9条「改正」はアメリカの意思-そうではなく我々日本人一人一人が自分の問題として考える必要がある

 以上は、有名な事件を拾ったに過ぎない。
 しかし、これだけでも、日本の再軍備がアメリカの意思によるもので、憲法9条の「改正」が集団的自衛権の行使を求めるアメリカの要求に基づくものであることはかなりはっきりしているのではないか。
 そして、アメリカの世界戦略をきちんと見据えた場合、アメリカが何故日本の集団的自衛権の行使を求めているのかを理解した上で、日本がどういう立場をとるのかを我々日本人一人一人が真剣に考えなければならないということなのではないだろうか。

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