生存権

2007年9月11日 (火)

広がる格差(中日新聞)

 2007年9月11日中日新聞社説「広がる格差・非正規雇用に歯止めを」
http://www.chunichi.co.jp/article/column/editorial/CK2007091102047825.html

 具体的な数字に基づいた分かりやすい記事だ。

  • 「総務省の調査では二〇〇六年の非正規雇用者は千六百六十三万人で全雇用者の33・2%を占め十年間で六百二十万人も増えた。その結果、労働者の低賃金化と所得格差が顕著になった。」
  • 「今年の労働経済白書によると、企業は業績回復で株主配当や役員報酬を大幅に増やした。だが労働分配率は二〇〇一年度の74・2%から、〇五年度は70・6%まで低下した。」
  • 「年収をみると正規雇用者は二百万-一千万円未満まで幅広く分布するが、パート・アルバイトは百五十万円未満が過半数、派遣社員や契約・嘱託は二百万-三百万円未満が約三割と、低水準に集中している。」
  • 「厚生労働省の〇五年所得再分配調査では、格差を示すジニ係数は当初所得で〇・五二六三、再分配後も〇・三八七三と過去最大になった。」

 富める者はより一層富を増やし、その分、貧困層が増大している。

 この記事も指摘しているが、労働者派遣法は、労働関係に大きな変化をもたらした。その最たるものが、「1日だけの日雇い派遣」である。私の依頼人にもそういう方がいらっしゃる。毎日夕方から夜、明日の仕事が携帯電話や携帯メールに入る。明日どうなるか分からない。こんな状態では安心して生活できない。

 この国の根幹が揺らいでいるように思う。感覚的過ぎるだろうか。

 社説は、「これ以上の労働法の規制緩和はやめるべきだ」としているが、せっかくの記事が最後にきて尻すぼみだ。
 行き過ぎた規制緩和は是正すべきだ。

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2007年8月25日 (土)

北九州小倉北区餓死事件

 7月20日少しだけ書いた北九州小倉北区で起きた男性の餓死事件のことについて、その後の動きが報道されている。

http://www.asahi.com/health/news/SEB200708200050.html
asahi.com 2007年08月21日
小倉北福祉事務所長を告発へ 孤独死問題で市民団体

http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/wadai/news/20070825ddm041010157000c.html
毎日新聞 2007年8月25日 東京朝刊
北九州・孤独死問題:生活保護打ち切り、福祉事務所長告発

http://www.jcp.or.jp/akahata/aik07/2007-08-25/2007082501_01_0.html
2007年8月25日(土)「しんぶん赤旗」
北九州餓死 生活保護の受給権侵害
福祉事務所長を刑事告発
弁護士ら 「組織的犯罪だ」

 しんぶん赤旗は、相当に大きなスペースを割いて報道しているが、何故、他の新聞の扱いは小さいのだろう?
 今後解明すべき事柄はあるのかも知れないが、男性が生活保護の受給を受けられなくなってからわずかの間に死に至っており、日記には、働けないのに働くように強要された趣旨の記載があったことも報じられた。
 重大問題だと思う。

 人間、いつ何があるか分からない。数年前まで、人も羨む悠々自適の生活を送っていた人が、事件に巻き込まれたり、事故に遭遇し、あるいは他人の保証をしたりして、破産せざるを得なくなったケースをいやと言うほど見てきた。「自分だけは」と思いたいのが人間の性ではあるが、「こんなはずではなかった」とつぶやくことが多いのが現実である。
 それでも、働けるうちはいい。働く場所があるうちはいい。

 しかし、事故や病気が原因で追い込まれた人もいれば、高齢などが理由で働き口を探しても見つからないことがある。働いても働いても生活できるだけの給与を得られない人が増えている。

 そういう場合に最低限の保障をし、再出発の機会を保障するのが、福祉国家であり、国にそれを命じているのが、憲法25条である。

第25条 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
2 国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。

 しかし、今の政権政党=自民党、そして政府(阿倍内閣)は、こうした庶民の目線に立っていない。上ばかりを見ている。もちろん、そういった政治姿勢を歓迎する勢力があるのだろう。それも現実である。権力を持つとそれを濫用したくなるのが人間の性だとすれば、そういった欲望を圧倒的多数の庶民の立場から規制するのが憲法である。それを行使するのは国民である。

 参議院選挙における自民党の惨敗の原因を失言問題や阿倍総理の指導力のなさなどに矮小化しようとする報道もあるが、決してそうは思わないし、そのような分析は間違っている。
 今の自民党・政府が、庶民のことなどどうでもよいと考えていることに国民が気づいたからだ。単なる言葉の問題ではないし、「失言」というレベルの問題ではない。言葉の背後に潜む本音を見てしまったということだ。

 今こそ、憲法は、国民を守っているのだということ、国民が本気になれば、この国のありようを変えることができるのだということに確信を持ちたいと思う。

(追伸)

 ブログ「晴天とら日和」(http://blog.livedoor.jp/hanatora53bann/)におじゃましたところ、地元紙や地元のテレビは、さすがに詳しく報道している様子。
 そのエントリーはこちら→http://blog.livedoor.jp/hanatora53bann/archives/51039661.html

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2007年7月20日 (金)

生存権・憲法25条

 最近、悲しくなる話が多すぎると思いませんか。

 ワーキングプアのことは、以前に書いたことがあります(その1その2)。ネットカフェをねぐらにして生活しているネットカフェ難民の問題も、大きな社会問題になっています。

 他方で、年金の管理が余りにずさんであったことが、ご存じのとおり、大問題となっています。

 そして、極めつけは、生活保護受給廃止後に死亡し、死後約1ヶ月が経過しミイラ化した状態で7月10日に発見された独り暮らしの男性(52)の事件ではないでしょうか。新聞の報道によると、生活保護の辞退届を提出させられ、4月10日に受給廃止となっており、男性は日記に「働けないのに働けと言われた」などと記していたとのこと。6月上旬の日付で「おにぎり食べたい」とも書かれていたそうです。

 どれも、国民が貧困に陥った際のセーフティネットに関わる問題です。

 富める者がますます富を独占し、他方で貧困が確実に進んでいますが、私の事務所では、スタッフを含め、そのことを実感しています。経済的に本当に困った人の相談が激増していますし、法律扶助事件(簡単に言いますと、収入が少ないため、弁護士費用を大幅に減額した上で、それを国が一時立て替える制度)は確実に増えています。本日の事務所会議でも話題になっていました。

 一生懸命働いて生活をしている(そうするしかない)一般の国民からすれば、国家は、本当に困った時に何とかしてくれるからこそ、その存在意義があるのではないでしょうか。立派な道路や箱物を作ってもらっても仕方ないし、まして、官製談合でゼネコンに儲けさせたり、無駄な施設をたくさん作ったりして無駄遣いをしてもらうために税金を払っているのではありません。

 憲法25条、生存権が軽視されていると強く思います。

第25条 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
2 国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。

「 この生存権の保障規定は、社会権のなかで原則的な規定であり、国民が、みな人間らしく生きることができることを権利として宣言したものである。生存権には、国家による妨害を排除するという自由権的な側面も存在するが、二項では、社会権的な側面での生存権を中心に、一項の趣旨を実現するために国に生存権の具体化について努力する義務を課している。それをうけて、現行法上では、生活保護法、児童福祉法、老人福祉法、身体障害者福祉法などの各種の社会福祉立法、国民健康保険法、国民年金法、雇用保険法などの各種の社会保険立法がなされ、社会保障制度が確立されている。また、保健所法、食品衛生法、環境基本法などにより公衆衛生の整備もはかられている。」(辻村みよ子著「憲法第2版」322頁)

 この憲法の精神を尊重しようという意識が権力者にあれば、今日のような事態は生じていないと思います。今の権力者(政府や政権党)は、自分の保身や利益しか頭にないために、その目は、自分の保身や利益のために役立つ人間にしか向いていないと思います。
 国民の暮らしを真剣に考えてくれているのは誰か、誰にそれを託せばいいのか。

 選挙は大切です。
 もうすぐ、選挙です。
 「私」が生き生きと生きていくためには、誰に投票するのが最もいいのか、どの政党に投票するのが最もいいのか、よく考えて投票したいものです。

 

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2007年6月 1日 (金)

消された年金と憲法25条

● 年金時効撤廃特例法案は衆院を通過したが
 政府与党は、議員立法の形で、「年金時効撤廃特例法案」を提出し、6月1日未明の衆院本会議で可決されたとのことである。
 率直に言って(正直言って)、法案の中身はこれから調べようかと思っている状態なので、偉そうなことは言えないのだが、それにしても、ドタバタでしたね。
 最初、この国の首相は、騒がないでくれなんてことを言っていた。それが急転直下、他にも重要法案が目白押しの状況にもかかわらず、十分に審議時間も経ずに強行採決した。余りに見え透いてますよね。ただ、選挙が恐いという一心に過ぎず、本当に国民のことを考えたとは、残念ながら思えない。

● 消された年金はどんな基準で復活するのか?
 確かに、時効撤廃は大事。だが、それだけでは問題は解決していない。というか、最大の問題が残っている。どのような場合に消された年金を復活するのか。領収証がなくても認めるとしたのは、一歩前進ではある。しかし、どのような事実が証明できれば、これを認めるとするか、その基準を策定するのは容易な作業ではない。また、最終的な立証責任をどこまで誰が負うのか、きちんと議論しなければならない。これも簡単な話ではない。
 年金の時効の撤廃以上に、この問題をきちんと議論して合理的な大多数の国民が納得できる基準を決めなければ、何も解決していない。
 今後の政府の動きを厳しく監視していかなければならないと思う。国会でこの点がどのように議論されて行くのかも、見つめて行く必要がある。

● 改めて憲法25条を考える
 さて、ここで憲法25条である。
 憲法25条1項は、「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」と定めている。国民年金などの社会保険が、これを受けた社会保障制度の一環であることは、言うまでもない。
 約5000万件もの該当者不明の年金記録をつくり出してしまった(というか、本来の権利者からすれば消されてしまったというべきか)国の責任は、重い。その国のトップが、問題が発覚した途端に、まず「騒がないで欲しい」旨発言するようでは、とても安心して国の舵取りを任せておけない。少なくとも、今ある憲法をきちんと守ろうと考えない人間に憲法改正を主張する資格があるのか、甚だ疑問である。

(追記)
 衆院を通過した議案の中身は、衆院のサイトで見ることができる。
http://www.shugiin.go.jp/index.nsf/html/index_gian.htm
 とても分かりづらいが、条文自体は5条までしかなく、単純なものである。おおまかに整理すれば、①保険給付を受ける権利に係る裁定後の保険給付を受ける権利についての消滅時効の不適用、②政府は年金個人情報について(関係者の協力を得つつ)、正確な内容とするよう万全の措置を講ずるものとするとの政府の責務、である。
 時効の不適用を確認したことだけに意味があるが、政府の責任はあいまいである。「正確な内容とするよう万全の措置を講ずる」とはどういうことなのか。国会議事録を見てみないと何とも言えないね。

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2006年12月20日 (水)

ワーキングプアⅡ努力すれば抜け出せますか

 NHKスペシャル「ワーキングプアⅡ努力すれば抜け出せますか」を見ました。
 7月23日のNHKスペシャル「急増”働く貧困層”」を見た時、思わず、すぐに、NHKに激励のメールを送ってしまいました。相当衝撃だったのですが、今回は、さらに力作だと思いました。
 前回の番組を見た多くの人から多数のメールや手紙が届き、その中に、具体的な実情を訴える人たちがたくさんいらっしゃったとのことです。「それに応える義務がある」と説明がありました。

 この番組は、前回もそうでしたが、単に評論家を登場させてしゃべらせるという安直な作り方をしていません。現実に、懸命に働きながら、ぎりぎりの生活を強いられている人たちの姿を時間をかけてカメラで追っています。具体的な事実をきちんととらえています。私は、ここにこそ、メディアの真骨頂があると思いました。

 離婚し二人の子供を抱えながら生活をする女性。睡眠時間を4~5時間まで削って2つの仕事をこなし、それでも18万円余りの収入しか得られない。子供と一緒に過ごすのは、夕方から夜8時までの約3時間。彼女は、子供たちを寝かしつけて仕事に出かける。「10年ぐらいたてば、私の体はボロボロになるでしょう。でも、その頃には、二人の子供は育ちあがる・・・・・」と言う。そのいさぎよさに、胸が詰まります。
 こんなに誠実に生きている人が将来に希望を抱いて生きていける社会を作らずにおいて、国家に何か意味があるのでしょうか?国家というものの存在意義を改めて問いかけたくなります。

 高校生時代、成績はトップで、美術を得意にしていたため、専門学校に進んで、コンピューターゲームのグラフィックデザイナーを夢見ていた女性。進学しようとしていた矢先に父親が病気で失業し進学を断念。町営施設の食堂で働きはじめたものの、町が民間委託したため、賃金も下がり、1日8時間働いても、8万円程度の収入しか得られない。調理師の資格を取得してスキルアップを図ったが、それでも時給10円しか賃金を上げてもらえなかった。妹も同じ仕事をしていて同じ給与。二人のどちらが欠けても生活ができない。父親は妻を亡くして鬱状態で仕事に復帰できない。

 若い頃、大家族の生活を支えるために年金保険料の支払が5年足らなかった。そのために年金を全く受け取れず、高齢になった今でも、空き缶拾いをして生活をしている80歳と75歳のご夫婦。その空き缶拾いも、競争が激しくなった上に、身体が思うように動かなくなって、いつまで続けられるか分からない。何かあった時のために70万円の預金を使わずに置いてあるため生活保護も受けられない。

 丁寧な仕上げに誇りを持ってきたプレス加工業を営む男性。安さを競う時代になり、委託料が半分以下に切り下げられてしまった。しかも、脳出血で倒れ、妻がその仕事だけでなく、他に2つの仕事を掛け持ちで働いて、ようやく生計を支えているが、ぎりぎりの生活も限界に来ている。

 白状すると、何度か涙が出ました。同情とか、そういうことではない。登場する人たちが余りに誠実に生きていることに感動したから。政府や他人の批判を一切せずに、懸命に生きている。

 私は、次の内容のメールをNHKに送りました。

 「ワーキングプアⅡ 努力すれば抜け出せますか」
 前作に引き続き、拝見致しました。
 前回の作品にも感動しましたが、今回も素晴らしい作品だったと思います。
 評論家を登場させてしゃべらせるだけならば、簡単に番組ができるのでしょうが、現実にいくら働いても生活できない、あるいはぎりぎりの生活を強いられる人たちをきちんと取材され、事実の重みに語らせておられる。事実の重みの前には、理屈はいらないと思います。
 前回の作品が多くの反響を呼んだとの番組内での紹介も、とても嬉しく拝見致しました。いいものを作って頂ければ、やはり見た人の感動を呼びます。
 私の周囲にも、この番組を見てNHKへの評価を改めた、受信料をちゃんと払うと言っている人が何人もいます。
 どうか、これからも、このような良質の作品を創作されたく、期待しております。
 ありがとうございました。

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2006年12月15日 (金)

「ワーキングプアⅡ努力すれば抜け出せますか」について

 少し驚くようなこと(いまさら驚くのはおかしいのかも知れないが)をブログ「お玉おばさんでもわかる政治のお話」(http://otama.livedoor.biz/)で知りました。
 下記のような状況があるそうです。
       記
 昨夜から、NHK宛に抗議の電話が多く寄せられているそうです。
 抗議の中身は「ワーキングプアになったのは本人の責任、なんでこんなものを放送するのだ」といった類です。
 このような抗議が多ければ今後の番組づくりに影響します。激励の声をぜひ、寄せてください。
http://www.nhk.or.jp/special/onair/061210.html

 このNHKスペシャルは、7月23日放送の「急増”働く貧困層”」の第2弾で、私は、このNHKの報道に感動をして、ブログでも書き(http://3courage.cocolog-nifty.com/kenpo/2006/07/post_e1a3.html)、NHKには、メールを送りました。
 今回の第2弾は、見逃してしまい、再放送を見ようと思っています。
 限界はあるものの、このスペシャルの今の日本の実態を事実に即して描く姿勢は、特筆ものだと思っております。私は、メディアがあれこれ評価を加えるより、事実を淡々と描いた方が説得力があると感じました。

 私は、抗議は、かなり組織的なものを感じてしまいます。第1弾の放送へ寄せられた多くの激励の手紙こそが、視聴者個々人の率直な感想であったと思います。かつてない反響だったと聞いています。だからこそ第2弾が企画された。そこに危機感を感じた集団がいたのではないでしょうか。

 今回のスペシャルを見ていないので、今は何も言えないのですが、このNHKスペシャルの報道が、世論に大きな影響を与えたことは間違いありません。この企画を実現したスタッフにとっては、大きな誇りではないでしょうか。
 私は、見たら、必ず、感想をNHKに送るつもりです。

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2006年7月29日 (土)

NHKスペシャル「急増”働く貧困層”」を見て

 7月23日のNHKスペシャル「急増”働く貧困層”」を見た(23日に見損ねたので26日午前0時の再放送)。http://www.nhk.or.jp/special/onair/060723.html
 昔からの仕立屋さん、34歳の若者、秋田県の農家。それぞれ、精一杯働きながら、働きに見合うだけの収入を得ることができないどころか、生活することが不可能と思うしかない収入しか得られない。番組では、このような人たちが今珍しくないと指摘する。3人は、その実態を記録することを希望し、積極的に日常生活を撮ることに協力したそうだ。そのため、極めてリアルに日常生活が映像となっている。
 規制緩和の名の下に、米の価格が下落させられ、農業収入が赤字に追い込まれている農家の実態。同様に、労働現場では、派遣などの不安定雇用の割合が激増し(3人に1人が非正規雇用で働いているとされる)、働く意思・能力を持ちながら労働の機会を得られない若者が増えている。地方は、ますます過疎化が進み、昔からの商業は、商売が成り立たなくなっている。
 消滅しつつある商店街(お金がなくて直せない商店街の看板)、農家(廃屋の建ち並ぶ農村風景)と見てくると、日本の国はどうなってしまうんだろうと強い危惧を持った。
 庶民が支え合って生きてきた地方の風景は徐々に失われて行くのだろうか。企業が効率を求めるのはある意味やむを得ないが、規制緩和を目指すこの国の政府は、効率を求める企業の後押しばかりを続け、真摯に働いても収入を得られない者を切り捨ててきた。
 日本国憲法、「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。 」とし、「2  国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。」としている(25条)。
 このような実態は、違憲というべきものではないのか。
 一人一人の国民に将来への希望を与えられない国=政府は、存在価値があるのだろうか。
 私らが支払っている税金が、どのような割合で何に使われているのかを1円たりともおろそかにせず真剣に考えなければならないと思った。

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