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2006年8月12日 (土)

福井県生活学習館において書架から撤去された書籍のリスト「公表」について

福井県生活学習館において書架から撤去された書籍のリストを福井県が「公表」

 既に、新聞各紙でご存じのとおり、福井県は、福井県生活学習館において書架から撤去された書籍のリストをマスコミを通じて「公表」いたしました。
 市民オンブズマン福井や上野千鶴子氏らが、リストの公開を求めていたものです。
 今回の「公表」という福井県の手段について、強い疑問を持ちましたので、一文を提供します。

情報公開と情報提供(公表)との違い

 情報公開制度がまだなかった時代、住民の行政保有情報に対するアクセスは、行政の恣意的な運用に任されていました。そもそも制度がなかった訳ですから、有力者(特に議員)にコネのある人間は、その議員を通じ、情報を入手することができ、そういったコネを持っていない一般市民は、行政がどんな情報を保有しているかさえ分からないという状況だったと思います。
 もちろん、行政が積極的に情報を提供することもありましたし、自治体によってその辺の姿勢に相違がありましたから、情報の偏りが指摘されてもいました。
 結局、情報にアクセスする手段を持っている市民、情報の提供に積極的な自治体に居住している市民とそうでない市民との間に情報の格差が存在したのです。
 情報公開制度ができあがって行く時代、アクセス手段を持っている市民の立場から、「情報公開制度が出来ると、かえって情報を隠す口実になりはしないか」という議論さえ行われていたことを思い出します。結果として情報にアクセスが容易な環境にいる市民が存在したとしても、それは行政の恣意的な運用に過ぎないから、権利としての情報公開請求権を認めさせることこそが重要なのだという権利としての情報公開請求権の重要性が説かれていたことも、今となっては懐かしい議論です。
 権利としての情報公開請求権に基づいて公開された情報と行政がその判断によって提供する情報とには、決定的な違いがあるということをきちんと認識すべきということになると思います。

マスコミを通じた情報の公表

 今回の福井県のリストの「公表」は、まさしく情報公開制度が創設される以前の前時代的な発想につながります。
 情報公開請求に対して、これを非公開とし、世論の大きな批判を浴び、その非公開に理がないことを自覚したとすれば、率直に非を認めて、公開すればいいのです。ところが、リスト作成者が「マスコミを通じ公開して欲しい」と言っている(12日付福井新聞記事)という、制度としての情報公開からすれば、とんでもない理由をつけて(これこそ恣意的だし、そのリスト作成者の言うなりに公表することもとんでもない不見識であろう)、公開請求をした市民への公開に先立ってマスコミを通じた「公表」を行い(これ自体は権利に対応する「公開」ではない)、既に隠す必要のない情報にしてしまい、非公開にする理由が喪失した結果「公開」するということになります。権利としての情報公開請求権を無視した態度と言うべきでしょう。

明らかとなった福井県の体質

 福井県は、市民オンブズマン福井や上野氏らの情報公開請求権の行使に応じた公開を避けました。ここに、福井県の体質が透けて見えてきます。依然として、市民の情報公開請求を疎ましいものと考え、市民は、行政が提供する情報を受け取っていればよいのだというおごりが存在すると考えるのは、うがった見方でしょうか。
 他方、経過からすると、リスト作成者の意思に従って行動したという見方もあると思います。もしそうだとすると、福井県には、圧力に屈せず毅然とした対応がとれない弱点があるのかも知れません。これはこれで、行政を預かる組織として、その資質に疑いを持たざるを得ません。

果たすべき説明責任

 情報は、ただ公開すればいいというものではなく、市民の知る権利を尊重し、行政の諸活動を市民に説明する義務を果たすことでもあります。福井県情報公開条例は、前文で「地方自治の本旨に基づいた県政を推進するためには、県が、県政を負託している県民に対して、その諸活動の状況を説明する責務を全うすることが必要であり、このことは、同時に、県民の「知る権利」の実現に寄与することでもある。」として、この点を明確にしています。
 福井県は、今回の極めて不自然な情報の公表の経過について、きちんと納得できる説明をする義務があるのは、当然だろうと思います。

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