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2006年8月31日 (木)

水取大橋は小浜の新迷所か

 本ブログ管理者です。

 会員(大久保さん)の原稿を代わりに投稿します。

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 お盆明けに小浜に行くことがり、水取大橋を見ました。行きと帰りに注意して周辺を通った程度でも、その奇妙さが十分わかりました。以下報告します。
 大筋に間違いはないと思いますが、細かいところで事実誤認や見落としがあるかもしれません。このブログ等でご指摘頂ければ幸いです。

水取大橋は、生物学的な曲線を持っている

 橋などの建造物は、力学的な要請によって幾何学的な美しさに特徴がある。この橋の場合、アーチ部分は確かに幾何学的だか、アーチを除外した橋の本体=道路部分は、直線でも幾何学的な曲線でもなく、複雑で微妙な生物学的な曲線をなしている(ブログの写真からも十分うかがえる)。
 如何なる設計思想によるものか?合理的には理解しえない。素人目にも、通行量がふえれば橋の諸処に余分な力が働き、思いの外早く壊れそうな形に思われる。

水取大橋は渡れない

 しかし、水取大橋が壊れる心配など今のところ無用だ。橋は、完成しても渡れないからである。なぜか?
 それは、市街地から見て反対側の渡り口に、道路が接続できないからである。対岸の路面から橋までの高さが2~3メートルあるため、橋の道を地面に着地させるには、かなりの長さの「陸橋」が必要なのである。
 何もなければ、金はかかっても工事は簡単である。しかし、郊外とはいえ対岸にも人は住み生活道路が走っている。周辺を見回してみたが、生活道路を殺さないように陸橋工事を行うのは至難の業に思えた。無理にやれば、とんでもない大規模工事になりそうである。
 

橋のバイパスが作られていた

 というわけで水取大橋は、美しい姿をたださらすだけの存在となっている。橋の市街地側のたもとからは、近くにある上流の橋をめざして、右の方へ新しい道路が造られていたように思う。それを通って上流の橋を渡り左折すれば、対岸の渡り口に行けるのである。
 何のことはない、新しい橋が渡れないので、バイパスを造っているのである。

感 想

 怒りよりもため息が勝り、さらには極度の人間不信に陥りそうな代物である。こうまで無責任な工事があってよいのか。責任の所在が明らかにされ、可能な善後策が講じられることを望む。

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